アグレッシブな日経/daily

2008年の日経はやたらアグレッシブだなぁと感じます。

元旦の一面はいきなり「YEN漂流 縮む日本 沈む国と通貨の物語」でしたからね。

明けました気分に冷や水をバケツでざぶんと引っ掛けられたような気分になった方も多いのではないかと思います。

結果として、年明けの相場はこのコラムシリーズを髣髴とさせる展開で、まあ、昨年末の動きから織り込み済みと言えば織り込み済みだけれども、それにしたって浮上のきっかけが欲しい……と思わずにはいられない。でも無いものは無い。

そして、7日のトップは日経の社内の研究会の報告「年金は税財源化」……早とちりな読者は仰天でしょうね……いえ、僕だけでしょうけど。

このトップは仕事始めのサラリーマンを完全に狙い撃ちした格好で、3ヶ月ほどで報告が作られたことを考えると完全に狙ったタイミングだったと推察します。

これらは代表的な例ですが、それ以外にも節々に日本を叱咤激励しようという日経の意図が感じられてそれが“意外”という感があります。

バブル崩壊直後だってこんなに叱咤している感じでは無かった気がします。僕は当時中学生だったから記憶が不確かなのかもしれませんけど。

あるいは、当時呆然自失してしまった経験から早めに鞭を打とうとしているのかもしれません。……まあ、それも遅きに失した感もありますが、昨年までの「なんとなく好景気」な空気の中で、加減した鞭があまり感知してもらえなかったことでようやく本気になったとも言えるかもしれません。

と、同時にNBO(=Nikkei Business Online)もなかなか面白い。

ペシミスティックな記事とアグレッシブな記事、オタッキーなのもあるし、カチコチの昔気質もあるといった具合に、いいごった煮具合です。

■ペシミスティック↓

【時流超流】

失われた10年”に逆戻りも  2008年、長期低迷のとば口に立つ日本経済

http://cmad.nikkeibp.co.jp/?4_13105_349806_126

「中小企業が景気減退を感じている」という言葉がありましたが、減退は末端からじわじわはじまるものであり中小企業よりも末端の家庭は早くから支出を控えて景気減退に備えていました。それに対して体力がある大企業が「何故消費しないのか?消費が回復しないと本格的回復には遠い」と苦言を呈するのは、順序が逆だと思います。家庭の景気回復なくして本格的好景気は無いでしょう。

それから、中国の成長について疑念を呈していることについては同意。

先日NHKで中国の教育事情について放送していたけれど、そこに描かれていたのはほとんどバブル前後の日本の家庭でした。自身のリストラ経験から教育に熱を入れる父とか母とか、仕事に時間を取られて家庭を顧みない父とリストラされて家で子供の勉強をみることしかない母とか、そういう父母に疲れモラルを見失う子供達という構図は、なんだか懐かしいドラマを見ている感じでした。中国の限界点は近いと思います。ただ、今年ではないとは思いますけど。

北京オリンピックが開催されて、直後に影が差して、それから3~5年くらいに本格的に暗がりがくるんじゃないかなぁ?根拠無いけど。

【神谷秀樹の「日米企業往来」】

自分が損しなければOKで失う経済力

http://cmad.nikkeibp.co.jp/?4_13105_349806_116

【BusinessWeek】

景気後退とまではいかないが… 経済専門家54人に聞いた2008年の米経済見通し

http://cmad.nikkeibp.co.jp/?4_13105_349806_120

この二つの記事は、遠まわしに「アメリカがくしゃみをすると日本が風邪をひく」を意識した発言だよなぁと思いました。

「アメリカに凹まれると日本がマズイ」とか「日本も同じような問題を抱えている…」という言葉を飲み込んだような感じが……息苦しい。

■アグレッシブ

【ニュースを斬る】

2008年を斬る:本当の地方再生とは?

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20071221/143788/

片山氏っていつの間にか鳥取知事退任なさってたんですね……。

 現に、私が鳥取県知事をしていた頃に、こんなことがありました。

 先ほどの政府の補正予算による景気対策で、農林水産省は「農道を作れ、漁港を作れ」と県に盛んに勧めるわけです。我々が「必要なものは当初予算で手当てをしたから」と断ると、農水省は何と言ったと思いますか。「覚えておけ」ですよ。そして実際、翌年度の農水省からのお金は減らされてしまいました。

「覚えておけ」に笑いが噴き出たけど、これが土木とか農水系の実態だよなぁ。

併せて、日経新聞の企業への補助金が事業化に結びついてないという記事を思い出すと、政府に金握らせてる場合じゃないのかな……?とか思ったり。

Web2.0(笑)の広告学】

ウルフルズの挑戦が、米国でブルースファンに響いてます

http://cmad.nikkeibp.co.jp/?4_13105_349806_123

 レディオヘッドというイギリスのロックバンドが、2007年の10月からインターネット上で新アルバム「In Rainbows」をダウンロード販売していました(現在は終了しています)。ただし「販売」といっても、定価があるわけではなく「あなたのお好きな代金をお支払いください」というやり方でした。「0円」つまり、まったくのタダでのダウンロードも可能だったのです。

 そんなことをしたら、誰もお金を支払わないのではないか、と思われるかもしれませんが、実際には平均で8ドル、約1000円が支払われたということです。当然、まったく支払わない人もかなりいたわけで、10ドル、20ドル支払った人たちが平均値を引き上げた結果とも言えます。

去年からさんざん議論されてきたwebと音楽の関係性について、短いながら十分な事例を含むレポートだと思います。

この引用部の後にタイトルにあるウルフルズの成功例が示されています。

アーティストの収入源がCDからライブにシフトして行っている中で、いかにして音楽配信でリターンを得るかについてはやはりこういう方式しかないのではないかと思います。

スター育成については、これまではレコード会社が担い、アーティストへの投資をアーティストの抱え込みによって回収する方式から、音楽が共有される場への投資を行い、場でヒットしたものをプロデュースして投資を回収する方式が中心になるのでは?と思います。

そしてそれは、ニコニコ動画における初音ミク等のVOCALOIDシリーズの楽曲と「歌ってみた」「演奏してみた」関連の「才能の無駄遣い」との連携に既に実現しつつあるのではないかと思います。

VOCALOIDのデモに生声が付いて、本物のファンが付く、そして一握りの成功者がライブへ…というような形ですね。当然、育成によって中間益を得ようとするエージェントも現れるでしょうが、非常に限定的と思います。

web世界の消費と言うのは、ファンの数がある程度推測しやすく、例えば所有欲を満たすためのCD化も先払いによって利益を確定しやすい面があると思います。そこをマネジメントする会社を場をつくる会社が持てばいいんですけどね。

その意味でニワンゴは着メロ配信をやっているドワンゴが後ろについていて、その後ろにさらにavexがいるみたいですが……昨年末のJASRAC登録やメールでの音源催促などの騒動はとても冷や汗が出ました。傍観者の個人的願望としてパイロットプロジェクトとしてとても期待しているので、こんな早期につぶれてもらっては困るんですよ。

音楽は多くの人にとって身近であるので、ブレイクスルーとして期待しているんです。

音楽を穂先に、書籍、アニメ、ドラマ…と続くのでは……と考えています。もちろんこれらにもライブという対照として演劇があったりします。あるいは人生そのものがドラマであり、それを楽しむ感覚は教養人としての…ごにゃごにゃ(脱線

オタッキー

【川口盛之助の「ニッポン的ものづくりの起源」】

ヒーローの変遷に見る日本の生き方 歴代SFアニメのロボたちが将来を予見する

http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20071214/143146/

切り口は面白そうだったけれど、最近の例から「ぼくらの」の“ジアース”を引っ張ったのは完全に我田引水と思われる。「グレンラガン」の“ラガン”は完全に彼の論に対する反例になるのは理解できるけど。

つーか、ロボットアニメにもロボットが主役のスーパーロボット系とロボットはガジェットに過ぎないリアルロボット系があって、リアルロボット系は彼の理論に乗るかもしれません。

元祖:「鉄人28号」…リアル系であり、スーパー系でもある元祖と位置づけると

リアル系:「マクロス」⇒「パトレイバー」⇒「エヴァンゲリオン」⇒「コード・ギアス 反逆のルルーシュ

スーパー系:「マジンガーZ」⇒「ゲッターロボ」⇒「勇者王シリーズ」⇒「天元突破グレンラガン

…とかと比較するべきではないだろうか?(…ジアースはスーパーだろうなぁ…)

前者は時代の影響を受けて主役の性別・性格やロボットのシステムが変化している。

後者は時代の影響を受けなくは無いが、「そんなの関係ねぇ!」と言わんばかりに熱さを重視している…多分。全部鑑賞したわけではないので断言不能。

ガンダムガンダム自身の系譜で追っても面白い。

ガンダム」~「F91」⇒「V」⇒「W」⇒「機動武闘伝Gガンダム」⇒「種」・「種デス

とか。

“ちせ”などのヒューマンサイズについては、「鉄腕アトム」や「ドラえもん」との比較が必要ではないだろうか?最近の例なら「PLUTO」を挙げてもいいし、「寄生獣」や「エルフェンリート」などの“生体兵器”と見えるものも含めて論じると良いと思う。

■カチコチ

【伊東 乾の「常識の源流探訪」】

匿名性幻想でネット環境は悪化する企業・大学で実名原則の徹底指導を(CSR解体新書23)

http://cmad.nikkeibp.co.jp/?4_13105_349806_115

「ネットは匿名性が高いが技術的には顕名に変わりない」というのなら肯けるが、そこから「実名での書き込みを前提とする」という結びつけは不可能と思う。

そもそも、ネット上で「匿名」の反対語として「顕名」が用いられるのは、ネット上で名乗られている「顕名」が「偽名」である可能性を意識しているからであり、その認識の上で「同一性を確認可能である状態、本人が意識しない形(ホスト名やアクセス履歴)によって名前が付いている状態」であるから、「匿名」と「顕名」に差は無く、「実名」はそれを目にする一般ユーザにとって確認する手段を持ち得ないことから「偽名」と差がつけられないという認識に立つべきだろう。

このブログもほとんど顕名に等しい状況で書いているが、それで実害は無い。それは活動が末梢的であるからで、結局顕名か匿名かは記事の内容が実名を必要とするかどうかによっているのである。少数の顕名アルファブロガーと多数の匿名のオメガブロガーの差だ。

だれも新聞の読者投稿欄に顕名を要求しない。しかし、社説には顕名を要求する。

記事の内容、掲載される場所によって実名か否かは判断されよう。

そういうことだと思う。