藤本タツキ『さよなら絵梨』について

Twitterで「爆発オチ」が話題になってて読んだらベソベソに泣いてしまったので、Twitterは「爆発オチ」の感想が多すぎるから「はてブ」の反応はどうなんだろうと思って見てみたら、そっちはそっちでなんか話題が分裂していたので、Twitterではどうしようもない文章量*1になりそうだし、200年ぶりにブログを書く。

勿論、『さよなら絵梨』の僕の視点からのネタバレを含むので、そこはご了承いただきたい。それと、『さよなら絵梨』は映画に疎い僕すら分かるレベルで映画『シックスセンス』のネタバレが含まれているので注意されたい*2

 

なお、僕は、『ファイアパンチ』は冒頭の2話か3話しか読んでいないし、『チェンソーマン』は犬と主人公にチェンソーが付いていることと……結末についての重大なネタバレしか知らない。『ルックバック』については、「『京都アニメーション放火事件』を彷彿とさせる描写なのでは?」という批評が行われたことしか知らない*3

まず、この作品における「爆発」の意味について僕は「母親の死を撮影させられる現実がクソだから爆発させた」と受け止めた。だから、その爆発の哀しさに憐憫でベソベソに泣いてしまった。その時点では「漫画」として読んでいたけれど、その感傷はそれが自主制作映画の劇中劇だと判明しても変わらなかった。本質的に同じと思ったからだ。

であるので、あれを「クソ映画」や「倫理的に問題がある」と否定される描写だけが続くことに違和感と反感を覚えた。そうすると、ようやく作品を肯定してくれる「絵梨」が現れるわけだよね。

ここも既に次の自主制作映画の描写で、そのための描写が続くわけだけど、それは「創作者である優太視点で編集された思い出」だということを頭に入れておかないといけないと思う……。

合間の描写として、創作者側の視聴者の無理解な批評への批判とそれを受け止める覚悟を問う話が続いて……。最初の作品の撮影は母親自身に強要されたものだと判明する。その時点でも「爆発=哀しみ」の理解に影響は無い。より「現実のクソさ」(僕にとっては哀しさ)が増しただけ。

そして、絵梨の生前の撮影が続き、「絵梨の死」が上映され、「観衆を泣かせることに成功する」。絵梨は映画の内容を知らないし、だからおそらく母親の優太の事実は知らないだろうと思う。

そこから……絵梨の友人……とかの、最後の描写に向けての再編集が始まる。

とってつけたような時間経過とその長い時間がそれなりに幸せだったかもしれない話がなされる。その簡素さに違和感を覚えていると、また「現実のクソさ」が優太を襲う。ここは唖然としたけれど……そこからは一気だよね。

学生の時と同じ様なタイミングで優太は絵梨に出会い、映像を再編集していた理由を見つける。

現実がクソだから爆発させた」。

だから、僕はそれは哀しいことやん?って思ったから……ベソベソに泣いた。今も泣いてる。

絵梨は、最初の映画のその「クソみたいな現実を爆破したこと」に共感したんだと思うんだよ。だから、二作目で爆発させなかったこと、優太の「創作者としての個性」を殺した作品に共感したとは思えないんよね

*4

。だから、最後のコマで優太が「爆発」を背にして今度は「満足気に立ち去っている」というのは、「哀しい」達成感があると思う。

「哀しい」というのは僕の感性で……。「爽やか」という感想も見た。確かにそういう面もあるかもしれない。そこは僅かな感性の差異でしかないと思う。

最後の答えをくれた絵梨は「本当に吸血鬼だった絵梨」なのか?その解釈は読者に任されていると思う。作者は映画好きだから、「信頼できない語り手」が見た幻影という可能性もある。更に言えば、優太と優太の父親が似ているのは遺伝的に当然だとしても、絵梨と絵梨の友人が似ているというのは「一人二役」の可能性……。つまり全体が小規模制作の自主制作映画であるという可能性の示唆でもあると思う。そこも読者の解釈に任されている。

だから、「爆発オチなんてサイテー」って解釈でも当然良いと思う。思うけれども、いや、僕だけベソベソに泣いてるってのは寂しいので、ブログを書いた。感想文によって元々違う感想を抱いていた人から僕と同じ感想を引き出そうという試みだから、これもクソみたいな現実を改変しようとするクソみたいな文章ですよ。僕が感動しているポイントが見当違いとか、ぷぷw真面目に受け取っちゃってwとかなんかね?ちくしょう。爆発しろ!

最後に。初稿で書き忘れてた。

作者は、この「現実はクソだから爆破」をあくまでもフィクションであると再三再四念押しして描写している。だから「現実の哀しさはクソだから爆発させるに限る、ただしフィクションの中で」という作品なのだと思う。現実を爆破してはいけない。最初に脚注つけた事件。

そして、最後に爆破された場所、都合よく絵梨との逢瀬に使われた勝手に映写機が設置されたデカい廃墟、あれ、学校じゃね?最初の映画をクソ映画って批評されたり、クソ映画を上映したのに感動されてしまってピース作った学校じゃね?

そして、作品についての批評ってよく「学級会」と揶揄されるよね、って思った。つまり僕も爆破されたんだな。

終幕――・・・!

*1:

https://twitter.com/ryoshihira/status/1513402447079022592

*2:古い映画だけど未見の人を持つ創作者のためにあらゆる作品は配慮されるべきだと思う

*3:話題に乗り遅れているうちに次の読み切りが来てしまったので慌てて今作を読んだのである。この後『ルックバック』を読んだら更に泣くかも知れない。だって「爆破」と「放火」は近似だから。

*4:ここ、そう感じるあまりに2本目の作品で爆発してたと思いこんでいて、はてブのコメントで「全部の爆発で泣いた」と書いてしまった。迂闊にも誤読していたことに唖然としたし、そこから絵梨の視点を想像して改めて泣いた。

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