1984年/小説感想

ジョージ・オーウェル『1984年』(ハヤカワSF文庫)の読後感想です。

1984年すら遠い過去となった現在、この小説に描かれている国家像はスターリン時代のソ連ではなくて、もっと別の何か近未来の、しかし、現実味を持ったものに見えてくる気がします。

ジョージ・オーウェルは、実在したソ連よりも最も恐ろしい完全性を備えた全体主義の姿を描き、それによって力への隷属という人間の本質を描こうとしたのではないでしょうか。

さて、僕は若いので、以下にネタバレ要素を組み込みつつ、ちょっとした寸劇を催します。

未読の方には全く無意味であり、既読の方にも意味を成す可能性は限りなく低いので読まないで下さい。

ただの自己満足のためです。

=*==*==*==*==*==*==*==*==*==*==*==*==*==*==*==*=

「2007年」

もう夏は終わってしまっただろうか?

何日前のことだっけ?それとも何ヶ月前のことだっけ?

とにかく僕はミニトゥルーに勤めていた。

仕事は単純なものだった。

数々の戦争に勝利して国土が拡大し続けていること、同様に、ミニラヴの計画通りに国民が増加し続け、ミニプレンティの計画通りに生産が行われ、安定した生活が成り立っていることを、延々とコンピュータでペイパーの記事にし続ける仕事だった。

仕事ぶりは今やディスプレイの上に付くようになったテレスクリーン(これも偉大なる兄弟の手による発明である!)によって記録され、オフィスにはコンピュータ以外の何も無かった。必要なかったからだ。僕はいつも党の制服を着て手ぶらでオフィスに現れ、コンピュータの電源を入れて送られてくる仕事を片付け、帰宅する毎日だった。

そこに党に対する疑念や叛意を抱かせるものは何も無かった。

ある日、僕はコミュニティハイキングに出かけ数人の仲間とともに道に迷ってしまった。そしてある時僕の隣を歩いていた女性が足を滑らせ、とっさに救いの手を差し出した僕ら二人は渓流に転落してしまった。そして、それから全てが変わってしまった。

僕らが目を覚ましたのは見知らぬ岸辺だった。どれくらい気を失っていたのだろう?どれくらい流されたのだろう?とにかく僕達は仲間に合流しなければならないと考え、渓流沿いに山を下り始めた。しかし、下りきる前に非常にも雨が降り始め、増水した川に行く手を阻まれた僕らはそばにあった洞穴に身を隠すしかなかった。後になって思うに、僕らはきっと渓流沿いに進むべきではなかったのだが、そう判断する知識を持ち合わせていなかったのだ。

二人は洞穴でごく自然に服を乾かす為に脱いだ。学校での性教育によって、性行為はミニラヴ―愛情省が計画的に管理することであり、それを私的に行うことは党への裏切り行為であるということは、僕らにとって周知のことであった。だが、学校で学び予想していた以上に、そして裏切りの代償に対する恐怖以上に、僕らの本能は強く刺激されてしまった。いや、それだけではない。そこには、遭難とそれによる死への恐怖、それから来る自暴自棄、助けが来ないことに党からの裏切りを感じる気持ち、そういうものがあったのだ。そして僕らは愛し合ってしまった。

夜が明けたころ僕らは目覚めた。雨はすっかり上がっていて、昨日通れなかった川岸が通れるようになっていた。僕らは疲れきっていたが互いに励ましあいながら川を下り、そして町が遠くに見え始めた。町に近づくにつれ僕らは無口になっていった。自分達が犯してしまった罪への激しい後悔が心に芽生えていた。死を覚悟していた昨夜の内は怖くなかったものが、町にそびえるミニラヴの建物と言う実体を伴った瞬間に僕らの心臓を握りつぶしてしまったのだ。二人は視線を交わしたが、その意味はお互いにすぐ通じ合った。

黙っていなければならない。

そして僕らは町に帰り着き、それぞれの生活へと戻っていった。

もう一度会うつもりなどなかった。僕らは沈黙し続けた。

だが、それにも限界があった。僕らはどんな事情があろうとも党の規律を犯した可能性のあるものであり、それまでは気にせずにいられた視線を気にせざるを得なくなってしまった。一番恐ろしかったのは、彼女と出会うことだった。一瞬でも動揺を見せてはいけない。しかし、彼女と出会って覚える衝撃は隠し通すのに大変な困難を感じた。いつしか食事はのどを通らなくなり、自然とコミュニティ活動へも足が遠のいていった。

そんな状況にありながら、僕は毎夜のように彼女の夢を見るようになった。内容はいつも同じで、僕は彼女と一緒に励ましあいながら山を降りている。それだけだった。だが、それは大変な恐怖と何か暖かな気持ちを僕に抱かせ、僕を息苦しくて目覚めるくらいに苦しめた。

僕は彼女があの時足を滑らせたことを激しく憎悪し、迂闊にも助けの手を出したことに強い後悔を覚えた。だが、憎悪の後にあの夜の彼女の顔が浮かぶと、不思議とその激しい感情の渦は跡形も無く消えてしまうのだった。

僕はこの不思議な感情の正体を知らねばこれ以上正気を保てないと感じるようになっていった。そして、その正体は彼女こそが知っているといつしか信じるようになっていた。

僕は再びコミュニティハイキングに出かけることを決心した。

果たして彼女はコミュニティハイキングに参加していた。僕が彼女に気づいたとき彼女も僕に気が付き、挑むような視線を送ってきた。そして僕はハイキングの途中、霧が出てきたのを機に隣の人を突き落として混乱を生じ、その隙に彼女の手をとって二人きりになることに成功した。先に口を開いたのは彼女だった。彼女もほぼ僕と同じような状態であった。周囲の視線が怖いこと、僕を憎みもしたこと、しかし夢に見、そして温かい感情を覚えるということ、そしていずれどうなろうと僕らは思想警察に捕まって殺されてしまうであろうと確信していること、そんなことを話してくれた。僕はそれに同意し、そしてそれでも彼女に会おうと思ったことがミニラヴの語を成すラヴの意味することであろうと思った。

その後、僕らはしばらく綱渡りの日々を過ごした。逢瀬にはいつも悲しい感情がつきまとったが、その対価として得られる温かい感情を示す語彙が僕らには無かった。そんな日々の中のある日、僕は見知らぬ人物の接触を受けた。

その人物は、僕の味方であると言い、彼女とともに彼の居場所を訪れるように言った。そして僕は彼の元を訪れ、僕らが抱いているこの感情を人々に取り戻す為に活動しているという「兄弟同盟」への忠誠を誓った。そして、僕らは一冊の本を受け取った。それは、党の敵ゴールドシュタインが記した本であり、党の本質が記されていた。

僕はその内容に恐怖した。

元々、現状から判断して、党は内側からは打倒不可能であるし、また、自壊することもありえないと僕は思っていた。だから「兄弟同盟」という組織に期待していたのだ。だが、この本に書かれていたのは、党の本質に過ぎず兄弟同盟の戦略ではなかったのだ。こんな非実用的な書物を渡すこと自体が兄弟同盟の限界を感じさせ、そしてその後何の指令も無いことによってその不安は確信へと変わっていった。

そもそも、党の正確な規模は党員の誰も知らず、党員同士も反目するように仕向けられていては、組織だった反攻の目処など立つはずがない。また、この本によって僕は「家族」という概念を知ったが、現在では子どもを育てることは一つの職業として成立しており、そして、その子どもがどこの誰の子どもか知ることが出来ない以上、プロレの子どもを拾ってきたり、また、余った人間を抹殺することによって党の人員は常に一定に保つことができるであろう。食料等の生産も、年毎の変動を見越しつつ実際に必要な量以上を生産していれば、余った分を捨て続けるだけで食糧事情は安定するだろう。そしてそれらの事実は隠し通されれば良いのだ。そして、それらの抹消や廃棄、拾い子をしている人間もまた、その仕事が持つ意味を知らされてはいまい。

現に僕は、日々食べている料理がどのような材料でできているか知らなかった。また、彼女は料理人であったのだが、彼女も料理の材料の形は知っているが、その材料をどうやって作っているかは知らなかった。同様に、材料を作っている者も余分を廃棄している者も、それがどうやって料理になるか、いや、それが料理の材料であることすら、知らないのであろう。

もはや希望は無いかに見えた。

僕は一時期彼女を憎んでいたのとは違う形で、あの人物を憎んだ。希望をあるかのように見せかけ、そして替わりに絶望を寄越したのだ。それは始めは絶望に見え、やがて希望に変わった彼女とは対極の存在であった。そう考えて以来、僕はオブライエンを信じることをやめて、独自に党に対するレジスタンス活動を行うことを決意した。

それは、プロレの人々と接触することであった。

もちろん、その合間に彼女との逢瀬を重ねた。

僕は、数十人のプロレに出会ったに過ぎなかったが、それでも何人かは真に受けてくれたと信じる。希望は極めて稀な偶然によってしか僕のように叛意を得ない党員には無い。あるとすれば自由な思想を持ったプロレにこそある。彼らが影の組織をつくって成長し、いつしか成長を止めた党に伍するようになったとき、希望への道は始まるだろう。

そして僕がそれを目にすることはあるまい。

ほら、あの男がやってきた。憎むべき男。

僕は自分の直感の正しさを喜び、自由思考の勝利に高揚した。

そして、これから彼女を裏切って死ぬことへの覚悟を固めた。

僕らはほとんど痛みと言うものを知らずに育った。だからこそ、遭難した時に弱気になり、理性が本能に敗れた。そんな僕らがこれから行われる拷問に耐え切ることなど、信じる方が愚かと言えるだろう。だが、僕は絶望も希望も無い世界で弱い心に育ったからこそ、もう諦めることができている。僕らはあの逢瀬の合間も、死者だけが味わえる快楽と思えていた。

そんな弱い心しか育てえぬ党がなぜ存続しえようか?

僕はあの男に告げてやるつもりだ。

あの、すっかり年老いて、嫌な笑顔が皺で刻まれてしまっている男に。

ああ、あの男は初めて明るい所で会った時に残念そうにこう言っていたな。

「最近は君のような人物は少なくなってきていてね…」

今になって思い出すと、あれは僕らのような思想犯罪者が減ったということなのだろう。

それも党の衰退の兆候と言えるだろう。

さあ、手土産は十分だろう。

せめてあの老いぼれに手ひどい反撃を加えてやる。

=*==*==*==*==*==*==*==*==*==*==*==*==*==*==*==*=

……ハッピーエンドじゃないのに、何故書いたかと言うと……こういう形でしか僕が考えた反感を形にできなかったというか……要は、論理的反駁が出来なかったから例え話で応戦したというか……とにかく、一矢報いたかったんですよ。ほんとに一矢だけだけど。

……とにかく、人間はそんなに愚かじゃないよ!ってこと!

ああ、自分って口下手だな、と思う。