10月30日/daily

大学に足を運ぶが、やはり研究室へ行っても論文を前に途方に暮れるだけだと思い図書館へ進路を曲げる。

この所、脳の平衡を欠いていると感じる。創作に偏り過ぎていて、もう戻らない。

8月のあの日、もう書けないと感じてしまった。あれから2ヶ月が経ってなお、しかし私は盆を完全に覆す事が出来ずにいる。

昨日、人間失格を読了した。彼に共感する面もあったし、反感を感じる面もあった。

「小説家になりたい」

それはやはり正気で口にするものではない。

酔気ならまだまし。

狂気ならばこそ正しく口から流しうる。

欲などないが、食べて(読んで)いる以上、排泄するのは生理である。何故、それが一般でないのか?それは我々が社会という巨大な生物の一機関として互いに機能を補完しあっているからだ。つまり、私は排泄器官なのだ。

いや、それは思い上がりか。私がそんな重要な役回りを出来るはずがない。私は、そう、盲腸だろう。虫の如く幹線から垂れ下がる無為無益の存在。畜生の中ならば意味を持つが、人にあっては無用の、切除を待つだけの存在。

でもそれでも、五分の魂くらいは持っている。いや、私は五分でしかない。私の残りの五分には少なくとも、一個人としての価値はあるだろう。だが、その残り五分にしろやはり研究者の道は荷が重いが…。

いずれにせよ私は平衡を欠いて、私ばかりになっている。私は恥じる事は無いが、恥は積みに積み重なっている。私は罰せられるだろうか?そして僕にならざるを得ないだろうか?私自身それを望んでいるだろうか?私はそんな人生を歩む覚悟が出来ているだろうか?

覚悟無しに生きる人は多い。しかし、私は生きる事にこそ覚悟が要るように感じる。それは、死ぬ事に覚悟が要るのと同様。

それが怖いから、私は浮遊している。

浮遊しながら、とりあえず恐る恐る小説を書き進む。

私はまどうに堕している。