舟/夢日記

DATE=080419.sat

霧がたちこめる砂浜にたたずんでいたら、沖から手漕ぎ舟がこちらに向かってきた。

それはかつての友人の面影を残した青年だった。

彼は言った。

「どうだ舟に乗らないか?」

僕は答える。

「厭だよ。だって君はそう言って死んだんじゃないか」

あれは小学生くらいの時分だった。

彼は舟に乗ろうと僕を誘い、舟で沖に出てそして自分だけ海に飛び込んで死んでしまった。

「そうだ。だから今度は君のために沖に出よう」

彼は言った。

「厭だよ。もうそういうのはやめにしたんだ。座り込んでいるのは確かだけれど」

僕は言った。

でも、いつか立ち上がるんだ。

そう、思ってる。

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死んだ友人なんていないから、彼は架空の人物だ。

そしてむしろ僕自身なのだろう。

海や湖のイメージというのは固定化できていない知識の総体を暗示していて、その知識からいくつかの方向性のもとに自信のこうあるべきという理想像がつくられる。その理想像のすべてが存続できるわけではなく、見通しに失敗していた方向性は“死んで”知識に還元される。

その還元的分解が死に見えて、そして残った可能性はそれを羨んでいる。

…なんて解釈は後付け以外のなにものでもないわけだけれど、せっかく脳のリソースを割りふったのだからそういう思考によって何らかの得るものを得といたほうがいいだろう、っていう話。