人間性/daily

人間とはヒトとヒトとの間に、身振り手振り、表情、視線、言葉、そして身体的接触などのコミュニケーション行動によって形成される現象のことだろう。このコミュニケーションによってヒトビトは互いの人間性を交感し、お互いの姿を認識する形で何らかの―それがよしきにつけあしきにつけ―繋がりを意識し、互いにそれを自分のために活かそうとする。逆に言えば、人間性が認識されなければ、相手を人間として認識することができず、そして、殺人が殺人でなくなってしまう可能性もある。

それはさておき、正の人間性の連鎖が巨大になったものが社会である。

社会は、条件を絞り込むことによっていくつものヒエラルキーやセクションに分割することができる。質が近しければコミュニケーションは容易に成立し、人間性を共有して信頼関係を構築できる。だから、同質なもの同士は集まり、セクションを構成しようとする。

一方で人間性の交感には時間と労力が掛かる。交感した結果、有益な関係が見出される可能性も高くは無い。

そこで手続きの煩雑さを避けるためにヒトは、コミュニケーション行動抜きでも見た目だけで人間性が認識されるように自らに装飾を施すようになった。また、人間性抜きで交渉を成立させるために物質的対価(必ずしも金銭ではない)を取り交わすようになった。

ここにヒエラルキーが構築される。そしてこの示威的ヒエラルキーに対して、社会を論理的に平滑化する術として道徳や法が生み出され、そして法的階層や道徳的指導者という階層もまた生み出された。

こうして社会はセクションとヒエラルキーが複雑に立体交差するようになった。

リヴァイアサンは日々巨大になり続け、そして世界を包んでしまった。

そして誰もが観察者であることが難しくなってしまって、ましてコントロールなど容易に出来そうにもない。

でもそれも当然なのかもしれない。その最小要素、一人のヒトともう一人のヒトとの間の人間というものは古来変わり無く、原始的な手段で形成され続け、そしてヒトを悩ませ続けているのだから。

…ああ、眠い。

⇒【注:18禁】『オナニーマスター黒沢』http://passionate.b.ribbon.to/onamas0.htm

最後はベタだけど面白かった。もう随分と上手いよなぁ。この絵師さんこれが最後ってのがもったいない。けど、それも何らかのスタートなんだろうなぁ。その何か、頑張ってください。

原作は書店で見かけたことがありました。手に取るのには抵抗があったけど。