ここに無いもの/daily

最近mixiに書くことが無い。

mixiに書けることはすべてブログに書けるけど、ブログに書くようなことでmixiに書くのが躊躇われることがほとんどである。

その内容はオタクっぽいことだったり、ややこしい社会問題に対する素朴な意見であったり、詩や感性の問題であったりするわけなのだけれど、これらのことをむしろ身内にこそ見て欲しくないと僕は感じている。

そういえば先だってバイト先でmixiをやっているかどうか訊かれたのだけど返答に困ってしまった。コミュニティを見られる、と思って抵抗を感じたのだ。

「だったら入らなければいい」という話なのだけれど、自分で作り上げる領域について僕が僕らしさを発揮できないとしたら、僕はそれを好んで管理したりはしないだろう。

そこには「僕が僕らしくある」という欲求と「他者にとっての僕を維持する」という要求との間にギャップがあるということなんだろう。

……でも実は後者は自意識の問題であってその「他者」の責任ではなく、つまりは僕の自意識が勝手に二つの自己像を擁立して対立しているのだよな。

結局のところ、前者に後者は最終的な勝利を得るべくもなく、僕は僕らしくあるしかないのだけれど、これまで20数年をかけて営々と築き上げてきた外面というのは社会的に強力であってなかなか打倒するのは大変だ。

っていうところでmixiあたりから徐々に壊していくとよいのか、ということに気が付くのだが、よく考えたらmixiでのキャラクタは既にぶっこわれているし、酒を飲んだときのキャラクタもぶっこわれているし、ま、そういうことで観念するべきなんだろう。

…とさっきmixiに書いたら早くもコメントがついていた。

よしきにつけあしきにつけ、気軽にコメントが寄せられるというのもmixiの内側と外側の大きな違いだったりする。