人形と火難/夢日記

■071202.sun

風が強く吹き、分厚い雲を運んでくる。

寒い。

だがこの寒さはただの肌寒さとは違う。

この場が持つ独特の寒気だ。

橋口には「泳ぐなキケン!」の看板が立ち、水神様の周りで花束が朽ちている。

背の高いイネ科の雑草がざわざわと風に鳴る。

眼下の水面が波頭も白く波立つ。

水難事故の名所、ということだろう。水神が祭られているということは古くからそうであるということ。面白い話が聞けそうだ。俺は通行人を見つけて話しかける。

「すいません。ここいらの昔話を聞かせてくれそうな方、あるいは場所に心当たりはありませんか?」

「民族資料館へ行ってみたら?何か起きた時はいつもあそこだから」

「何かとは?」

「……あ~、えっと、ここは水難事故がよく起きるんだけど……その、帰ってきちゃうのよ」

「帰ってくる?」

「その……幽霊が」

俺は民族資料館で話を聞いた。

何でもあの水難事故の名所で死んだ人間は、葬式の後に魂だけになって帰ってきてしまうらしい。他人に憑依したり、人形に憑依したりと、取り憑くものに統一性は無く、また、憑依したものを落としても、戻ってきたり戻ってこなかったりらしい。

とにかく、あまりの薄気味悪さに地元民がまったく近付かなくなり、事故が減ったのは良かったが、この奇怪な現象はこの町の人々に言い知れない恐怖感を植え付けてしまっているらしい。

話の内容はまったくこの21世紀に何を言い出すんだと反問したくなるようなものだったが、話してくれている壮年の男の表情は真剣そのものだった。そしてそんなこちらの心情を察したのであろう。壮年の男は話の調子を変えた。

「さて、ではそろそろ実物をご覧になられますか?」

「!?本当ですか?」

「ええ、もちろんです。本来は町の恥となるところですが、あなたには見せてみても良いかもしれない。他言しないとお約束いただけますか?」

「もちろんです!」

「では、こちらへ……」

男は資料館内の階段を下りていく。

構造的にこの資料館は、崖の中腹に下から数えれば三階建てに建てられていて、入り口は坂道に面して三階部分に設けられていた。それを思い出しながら、今の俺はおそらく位置的には坂道の下の地下部分、地下2階にいるに違いないと想像した。

そしてその一室のドアを壮年の男が開ける。

「ここです」

そこには少年と人形が椅子に座っていた。

「……おっちゃん。まだ出たら駄目?」

少年がなみだ目で懇願するように言う。

「演技したって駄目だ。まだ入ったままだろう」

壮年の男は表情を変えずに言う。

「ちぇー。バレてちゃ仕方ないか。んったくもう!どーしてばれんのさー!」

少年が先ほどまでとは一転した明るさを見せたそしてさらに喋りまくる。

「あーあ、こんなんだったら美人に入ってたら良かった。そしたら色・仕・掛・けでここから出られたのにー!」

「無駄口叩かずに成仏する努力をしろ」

「やだねー!」

このやりとりが途切れた一瞬に人形が口を挟む。

「……僕も焼かれるのは嫌だな……」

ぽそりと言ったその言葉は一瞬で場に湿り気をもたらした。

「自力で成仏を目指している者を焼きはせぬさ」

「わかってます……でも、どうやってこの世への未練を捨てたらよいのか僕にはわかりません……」

人形の話し声はぼそぼそとしているが、どうやら声から中に入っているのが男性のそれも十代の少年であろうという想像が付いた。

驚きだ。本当に霊という物が存在しているだなんて。

「どうかね?信じてもらえたかな?」

壮年の男が言う。それに俺が答えようとした瞬間、火災警報のベルがけたたましく鳴り響いた。

「火事!?」

急いで職員詰め所へと駆け寄る。

「どうした!?何があった?」

「頓田さんの姿が見当たりません!」

「笑い声は聞こえるんですが……」

「くそっ、やはり彼には荷が重かったか!」

「そんなことより避難をしないと!」

「解っている!だが、火元は上の階のようだ。これは脱出は困難だぞ……」

「下に出入り口は設けていないんですか!?」

「外向きには設けている。しかし、ここはそちらとは繋がっていない施設の秘密部分で外界に面していない!」

「そんな……!」

「だが、脱出路はある!あとはそちらまで火が回っていなければいいが……」

「馬鹿言え!あんな危険な道、俺は通らないぞ!俺は、俺は上から行くんだ!」

「課長!私、課長を追います!」

「止めておけ!あの煙では無理だ!」

「しかし!あっ!」

「ぐわっ!」

言い争う俺たちの真上の天井が突如崩落した。これによって、人々は言い争うこともできないように分断されてしまった。

「館長!?館長!?」

30代後半の女性事務員と30代前半のメガネの太った男が声を上げるが、返事は無い。

これで、生き残りは俺と先ほどの少年とを含めて四人になってしまった。

「ここはダメです。早く移動を始めないと……」

「だが、脱出ルートは館長しか知らないんだ……」

「何とか僕らで見つけ出すしかありません。さ、急がないとどこが崩れるかわかったものではありありませんよ!」

「あ、ああ」

そうして僕らは煙の中を走り始めた。

そしてだんだんとはぐれていった。

俺は煙の中に倒れた。

ダメだ。もう無理だ。なんでこんなところで……

そして意識が途切れた。

人形に取り憑いた少年は煙の中で考えていた。

このままでは焼き殺されてしまう。

二度も死ぬなんて、水の次は火だなんて悪い冗談だ。

死んでたまるか。逃げ切るんだ。彼はそう思った。

人形は走り出した。しかし、体が小さくて思ったように進めない。

彼はもっと小さなものに取り憑いたほうが良かったと思った。

そう、例えば虫のように……

そう強く思った時、彼は自分が煙の中で死に絶えようとしている蛾になっていることに気が憑いた。蛾はどうやって逃げたらよいのか解らず非常灯に衝突を繰り返し、体は傷だらけだった。しかし、今は彼が憑依したのでどちらへ逃げたらよいのか解っていた。彼は飛んだ。そしてあと少しというところで力が抜けていった。飛べない。もう飛ぶ力が無い。そんな、こんなところで。あと少しなのに。もうガラス戸が見えているのに。彼は探した。取り憑くことができる生き物を。少しでも出口に近い生き物を。そして、玄関マットにナメクジが居るのを彼は見出した。彼に選択の余地は無かった。彼は乗り物をナメクジに移し、必死の移動を開始した。進んで、進んで、進む。しかし、ナメクジは人形以上に遅い。そしてとうとう、熱気に追いつかれた。

ガラス戸を破った熱気がナメクジの体表から水分を奪う。

彼はカラカラになって、ナメクジとともに天に召された。

…くん。

…かも…くん。

誰かが俺を呼んでいる。

この声は…

「館長さん!?」

「ああ、良かった。目を覚ましたようだね。みんな助かってよかった」

「本当ですか!?」

「ああ、課長と頓田君はさすがに無理だったが、ほかの三人は何とか自力で脱出していたよ。君もあと少しで外だったから何とか助けられた」

「そうでしたか…あの少年は…?」

「彼は……」

「へへーん!隙あり!」

その少年が元気良く茂みから飛び出した。

「待ちなさい!」

「やだね!私は自由に生きるんだーい!」

□ □ □ 

何か…この軽薄さが帰って怖い。