常識不足/daily

常識とは、日常のコミュニケーションの中でツマラナい衝突を省略するために社会構成員の間で共有化された知識と言える。

逆に言うと、常識が無い相手とはツマラナいことを省略できずに確認と共有化のために衝突してしまってウンザリするのだ。

しかし、結局の所、人間の知識とは経験に裏打ちされたものだからそういう衝突とその解決が無ければ人間は常識を獲得出来ない。

問題はやはりその衝突を経験する年齢であろう。若いうちは独立して生きていないために親類や教師、友人の言葉を聴かざるを得ないからいい。独立して生き方を確立してしまったら、その生き方が基本として強固に定まってしまい、その中に常識的に間違った考え方が含まれていたとしてもこれを覆すのは難しくなってしまう。

若い人は何を考えているか分からないと世の大人は言う。しかし、話をしてみなければお互い永劫に理解し合えないだろう。

コミュニケートするしかない。最終的にはそれが社会の生きやすさに繋がるのだから。

…でも、「叱られたくらいで人を傷付けてはいけない。ちゃんと話し合うこと」という常識すら定かではない現代ニッポン。それを実践するのは勇気がいるね。

勇気が…出そうか?