「労働の義務」とは?/daily

内田樹の研究室「創造的労働者の悲哀」というエントリーを読んだ。

ちょっと考えた事があるので珍しくもトラックバックして記事を書く。

当該記事は「東大生意識調査:将来の進路や生き方に8割が悩む」(毎日新聞061218夕刊)に触発されて書かれたものだ。当該記事中にリンクが張られていないので、一応ここにリンクしておく。

この新聞報道に対して、内田氏は、「最近の若者は労働にクリエイティビティ、創造性を求め、『余人を以て代え難い唯一無二の労働者=創造的労働者』になろうとするが、現実にそうなれるのかについて苦悩している」と捉えた上で、「『労働は憲法に定められた国民の義務だから働け』と、『いいから、まずなんか仕事をしてみなよ』『それを見て、君がどの程度の人間だか判定するから』と私は言わなければならない」と、(乱暴な要約で恐縮だが)書かれている。

この記事に接して、僕は「労働に創造性を求める事により若者が苦悩している」という現状には同意するが、後半の「国民の義務なんだから働け」という言い方には反撥を覚えた。しかも、「君がどの程度の人間だか判定するから」とは、まるで挑発じみていて……。

まず、人間は自分の人生に創造的意味を求めるものです。

我が一挙手一投足に意味あれかし、と生きているのです。

そこから出発し、「義務か否か」を議論する前に「労働にいかにして創造的価値を見出すか」を論点とすべきでしょう。

義務を果すのもそれによって何らかの権利が得られると考えられればこそです。<主題を損なう為に削除。替わって『「義務か否か」を議論する前に』を一つ前の文章に追加>

そして、創造的価値を見出す方法はそんなに難しくは無いのです。

「幸せな家庭を築くため」とか「趣味の読書/野球/ラジコン/玩具収集を続けるため」とか、そういう仕事以外の面での自己実現を図る経済的基盤として収入を得る場として捉える事で、労働は間接的に創造的価値を得られるのです。

稀に「趣味は仕事です」と仰るような労働が自己実現の方向性と一致したケースもありますが、多くの人は間接的に労働に創造的価値を見出しているのだと思います。「労働は達成感を容易に得ることができる。」と内田氏は書いていらっしゃいますが、趣味が仕事である人より家族を養うために働いている人のほうが圧倒的に多いような気がします。

憲法に労働が義務であると書かれた時代はこういう間接的創造性を労働に認めている状態が一般的だったために、「大人になったら就職して、幸せに家族を養う」というイメージが用意に抱けたからこそ、むしろ労働の義務的な面を強調する意味でこういう条文になったのではないでしょうか?

しかし現代は逆に、労働の創造的な価値を間接的にしろ見出す事が難しくないですか?

サービス残業は知的労働者ほど過酷で、そんな中で家庭でも学校でも教育環境は混乱していて、青少年犯罪は年々過激になっていくように見える。景気は回復しているのに一般家庭にはその実感が無いのに、年金制度は崩壊しそうで、消費税率は上がりそうで、それでいて財政健全化はいつまで掛かるか予想もつかなくて、なのに議員や一部のセレブは華やかでぬくぬくしていて、天下りは減らないし、談合も減らないし、真面目に法律守って働くのって?というか、サービス残業って法律に違反しないの?……?

幸せな生活のイメージって抱きにくくないですか?

そういう閉塞感が、若者がニート、フリーターに流されていく現状に社会的要因として影響していると思います。

さて、社会的要因だけ挙げてただの社会批判の厭世記事かと思われたら癪ですので、若者側の個人的要因も推測して書きますが、個々人の社会性というかコミュニケーション能力の低下というのも影響していると思います。

間接的創造性というのは、家族とか仲間とかと感情を共有することで実感することができるものです。しかし、最近の若者はそういう実体験が昔の人より少なくなっているのではないでしょうか?だから、そういう幸せの形がソウゾウできない。一家団欒の風景は残業が長くなるにつれ、少なくなっていったのでしょう?だからこそコミュニケーション能力が低下したのでしょうし、コミュニケーション能力が低下したからこそ家庭外でそういう経験を得る機会も無かった。そういう悪循環を断ち切る力が個々に備わっていないことも問題と言えるのではないでしょうか?

僕は上で「そんなに難しくない」と書いた労働に創造的価値を見出す事が、個人的理由と社会的理由とでどんどん難しくなっていっているのだと考えています。

それを「義務だから働け」というのはあまりにも乱暴すぎると思います。

(余談)

僕も修士の2年間で「自分にとっての労働の意味」を自分なりに鬱っぽくなるまで必死に考えました。そして昨年ようやく「いつか小説を書くまで生きるために働く」という結論に達しました。結論に達するのが遅くて博士課程に入ってしまって、今度は博士浪人という恐ろしい現実が立ちはだかりそうですが。

しかし、うう……長いですね。記事を読んでいた間はもっと簡潔で切れ味良かったものが随分な長文・駄文になってしまいました。書いているうちに感情が籠ってしまって発散してしまう悪い癖です。そしてトラバするだけの質を確保しようと修正しようとして悪化したり……。小説化志望のクセに修行が足りません……orz