或る一生/daily

最初はmixiニュースで見た。

うつ病で自殺した25歳の手記が文芸誌に掲載されるという報道。

長いが、僕の創作と関わるので言及しておきたいと思い、報道記事を全文引用する。

(全て書きたい事は書いたが、タチが悪いのでスルーをオススメする)

うつ病:自殺した25歳の手記、「三田文学」に掲載 生への希望、苦闘の日々

 うつ病で自殺した25歳の青年の手記が10日発売の文芸誌「三田文学」秋季号に掲載される。闘病の経緯を小説の体裁でつづり、遺書の要素を持ちながらも文学作品といえる内容。うつ病に苦しむ人が多い中、必死に生きようとした若者の魂の軌跡が反響を呼びそうだ。【米本浩二】

 作者は富山県出身の片山飛佑馬(ひゅうま)さん(本名)。慶応大卒業後、地方銀行に入ったが、勤務3年目の05年春、不慣れな営業職にかわったことなどから、うつ病になり5月に休職。8月27日、死を選択した。

 作品は400字詰め原稿用紙140枚。死後、自室の椅子に置かれていたのを家族が見つけた。題名は「アパシー」。「無関心」という意味だが、理性の鍛錬によって自由になるという禁欲主義を示す言葉でもある。

 <朝目覚めたのは十一時ごろ>と始まり、<文章が読めない!><「僕はおかしくなってしまったよ。仕事もなくなった」>などうつ病が深刻になり、周囲への関心が薄れる様子が記される。

 記述は病状にとどまらず、<言葉を無くした私は、確かに生きるために生きたのであるが、言葉を戻した私は、死を欲する>などの哲学的考察が交じる。架空のカッパとの問答、自らを被告人に擬した章など、あらゆる角度から自らを客観視しようとする懸命な思いが伝わってくる。

 <他の人から愛される/他の人を愛する/自分から愛される/自分を愛する/それによって、人は生きていく>。最終的に死を選んだものの、片山さんが生への希望を失わなかったことは作中の詩からもわかる。

 家族が、同誌に投稿した。加藤宗哉編集長は「遺書ではなく、あくまで小説として書き残されたものと考えた。生きようとする主人公を死なせてしまった社会に問題はないのか。純粋に小説としてすぐれており、掲載を決めた」と語る。

毎日新聞 2006年10月8日 東京朝刊

朝十一時に目覚める事自体を罪悪と感じるのに、夜は負の感情を呼んで眠れず、遅寝になってしまう。文章が読めないというのも、分かる。というより、理解という行為を脳が拒む。文字に見えない。意味が読み取れない。読み取れると思った瞬間に、消失する。

言葉が失われると生存本能しか無い。言葉とはロゴスであって世に生きる上の理。それが認識できるようになった時、自分の通った道を振り返って戦慄する。

今辞書で引いたら、アパシーとは、apatheiaでありパトスからの離脱を意味するそうだ。パトスへの傾倒を悔やみ恐れ、ロゴスを守るべく死を選んだのだろうか?

河童は、芥川の絵への共感だろう。

それらは、懐かしい感情だと僕は感じる。

とても、近い。

だから、この手記と僕が書こうとしているものは似ている可能性がある。

しかし、決定的には異なっているだろう。

僕も僕を書こうとし、その中で僕は僕を殺そうとするだろう。

しかし、それはあくまでも僕の中での話だ。

僕の中でロゴスとパトスは分割されて、提携している。

それが異なっている。

僕はそれらが内的に同一である必要が無いと判断した。

しかし、外的に同一である事は必要であると考えた。

だから、内なる相克を外皮の下に隠しているように変わった。

(このブログは建前上、内側と認識されている。実質と建前の使い分けこそが境界を曖昧にする)

僕はうつ病ではなかったし、これからもうつ症状にはなってもうつ病にはならない。

だから、自殺者と死者と殺人者と告発者と赦す者が登場する。

それは幾つかの積み重ねてきた概念の集合だ。

見えない自分。

鏡への恐怖。

失われる自信。

破壊衝動。

腐った者。

それらを包むクレメンティス。

意外にも、こういう手記が登場するとは、と思った。

不謹慎だが、良い刺激になったよ。

私の中にはそういう感情がある。

それをつなぎとめる接着剤も。

私は、面白い。

だが、こんなもの今更興味深いのか?

僕は不謹慎な人間だな。

そんな最低の人間だよ、僕は。

以下自粛。

そして、これらがハッタリである可能性。

つまり、解るとか解らないとか、うつだとかうつじゃないとか。

それらが全て偽りの虚しい空言である可能性。

ほら、空から怪物がやってくる。

ぐぅ!

むにゃむにゃ(←カウンター発動)

おやすみなさい……。

(こうやってほとんど化学的に反応してると疲れるな…。もっと統制を強めないと…)

ぐぅ…・・・