研究の愚痴1/まちづくり

ほんっっっと、もう!研究が厭だ~・・.

何が鬱陶しいって、都市計画が行政計画の下に入らずに土木の下に入っているのが話をややこしくしている気がする。

てかそれだけじゃなくて、あらゆる分野的上下関係がこんがらがっている気がする。

つまり、行政計画の下に農政計画と都市計画があって、その下に農業土木と都市土木があって、上下水道工学があったりとかそういう構造だと考えるのに、行政計画がいまいち曖昧で縦割ってるからそれぞれが勝手になっちゃってるんじゃという。

基盤として土地利用制度があって、その上モノが都市計画法とか建築基準法とか農業振興法とか河川法とか森林法とかじゃん。そんで、その上で文化的に価値が高いものを文化財保護法とか自然公園法とか景観法とかでしょ。

考え方が二次元の域を出ていない?色塗りで塗り分けて分割統治して関係ないですって。

ベースがしっかりしていないのをよく解らないけど新しい景観法とかにいろいろ背負わせようというのはやっぱり何だか変だ。

んでもってその上、市町村の上に県がいて県の上に国がいて、権力のピラミッドがあるんだけれど、これは市、これは県、これは国みたいに必要なのが入り組んでてさ。がはっ。どう考えたってややこしいやん!もっと単純な仕組にすればいいのに。というか理由がわからんものを憶えるのは難しい。

何で縺れているのかというと、維新後や戦後という特殊な状況によって社会的要請の上下関係が分野的上下関係と食い違っていたからだと思う。

しかし、文明的成熟というのは、そういう特殊な状況―何というか煮立った状態―から落ち着いて、静かに折り重ねるような感じなのである。

それを大きいものでは既得権益が小さいものでは年の功が、何だか知らないが真っ当な順序に並べ替えるのを嫌がったり、邪魔したりする。

駄目。

よくわかんね。

全然関係ないけど九工大の先生のブログを思い出した。

暮らしと懸け離れた街が広がっているという話。

かっこつけようと思ったら、内側と外側を切り離すのが一番手っ取り早いからだと思う。

大きく出ると、人の価値観の中で中身のつまり具合って言うのは、地球があって国々があって地方があって県があってまちがあって建物があって人が住んでてその人の中に精神が宿ってて、本当はその精神がカッコイイのが一番なんだけれど、ぱっと一瞬で通過するようなカッコ良さでよければ外見を繕うのが一番だから、人は装うのだ。そして装うのはお金があれば簡単なのだ。

精神はお金じゃ充実しない。精神の充実がお金に繋がる事はあっても。

けど、外見はお金で充実する。外見でお金が充実する事もある。

お金(成功)と外見の充実は一対一で呼応していて解り易い。だから、みんなは芸能人に憧れる。

複雑でしっかりしがみつかないと理解できないものを避ける風潮というか、そういう充実を外に頼る傾向というのは今の世相のような気がします。

けど、そういう外見から中身へと目を向け始める人も増えてきているし、そういう

こないだの旅行で行った内子は、中身が無かった。

中身が入れられなかったら、歴史的に大切なものでも虚しい。

中身が入れられるように変えることも大事だ。それは物理的に住みやすい日本建築とかそういうのから、精神的に価値観を変えて不便でも歴史を守る心を粋とするとかそういうのとか、そういう変化。

何かそういう価値観を生み出すという事が必要。

こういうと大きく出ているようだけれど、仕事というのは大抵何か新しい価値、価値観を生み出す事だ。カラーテレビだってより真実に近い情報をという価値観だ。

世の中には、だからああいう外見だけを求める人がいて、そういう人にとっては「地価の高い中心市街地に住む」というステイタスに惹かれるものがあって、内側(暮らしとか)を感じさせないライフスタイルをカッコ良く演じきっているのは、彼らなりにリスクを持ってやっている事だと思う。何故なら、そういうのは短いサイクルでの流行り廃りがあるから。流行り廃りの速度は情報化によってどんどん速くなっていて、建築とか初期エネルギーの投入量が大きいものほど非効率で環境にも悪い。LOHASじゃないのね。

だったらこちらはそういう価値観をぶっ壊す方に回るだけだと思います。

共有する楽しさというか、感情とか。

そういう共感の仕方というのが、つまりは思いやるというか日本的な美というか、場の見極めというか、度合いの変化というか。

まちは共有するものだ。けれど、全部じゃなくて、中身を全部出すのは無理だけど周りにそれとなく覚らせる余裕というのもカッコイイ。

だから、二択なんだろうなぁ、そういう切り離したカッコ良さと密着したカッコ良さの。性格付けの。

でも、それをどちらがどちらのと言う程確信犯的に日本の土地利用制度は誘導に積極的じゃない。

みたいな。

駄目だ。

わからん。

まとまらん。

ルールが無いからなんともならん。

実例が無いとルールが作られない。

実例作るには生活に直結しすぎている。

だから良くわかんないうちに事態は悪化している。

わかっているような解っていないような。

わからん。

人口動態予測とか交通需要予測とかずるいよな~。

予測が外れても「条件設定が不完全でした」って、ねえ?ラプラスの悪魔じゃないんだからさ。無理だよ。

それよりも積極的に誘導する方が大事じゃないのかなぁ?

それを成功させるには責任を取る仕組が無いと駄目なんだけどさ。

それを嫌がるからさ。責任回避社会だね。

でも、なんたら予測ってのはずるい。

それじゃあ都市計画は出来ないよ。判断の助けにはなるとしても主流じゃない。都市計画の真ん中はやっぱ人だと思うよ。

でもそういう人間臭さって、理系が基本的には苦手としていることだよね。

てか、そういう理系文系の垣根が胡散臭い。

僕の頭の中が一番整理されていない。

そのランダム性が論文には邪魔だ。

うわ~ん。