Is time money?/思索
ある4畳半の部屋がある。
部屋には家具も雑貨も一つもなく、畳の上に貧相な男が一人、胡坐を掻いて座っているきりである。
そんな状態で30分続いた後、この部屋の中の部屋内総生産は上昇した。
何故か?
それはこの胡坐を掻いた男が、30分考える間に一つの素晴らしい着想に至ったからである。
こうして人は思考によって時間を価値化する。
手を動かさずに思考のみでこの結果である。
よって手を動かし、頭を働かせながら造り上げる工業製品なども、同様である。
時間と資源から思考を介して製品を造り出している。
地球全体を見た時に、それは降り注ぐ太陽光と隕石を除けば出入りの無い閉鎖系である。そんな中で、世界の経済が膨張し続けているのは、ひたすらに思考して時間を価値化して定着した結果であると言える。
よって、時は金なり。
破壊とは、この積み上げた時間を無に帰す行為である。
歴史などの記録とは、破壊に対して時間の保存性を高めるものである。
ちなみに、この価値化とはあくまでも人類にとっての価値であって、思考が価値あるものという思考によって得られる考察である。
また、前述の単独での着想に誤りがあった場合、一旦、この価値化されたかにみえた時間は無価値であると発覚するが、着想の欠点をつまびらかにし、今後の思考プロセスにおける留意事項として自身の経験として取り込むことで、価値化することができる。
逆に言えば、間違って反省しなければ、そのときに間違ったことに費消された時間は無価値である。