mixiなどのコミュニケーションツールについて/Web

今や400万人を超える人々が利用するmixi

これだけの人口があると、それはもはや一つの小国家の誕生とも言えるかもしれない。

ネットの中に新たな社会が構築され、新たなコミュニケーション空間が生まれている。

しかし、mixiがいかにWWWよりも高い閉鎖性を持っていると言っても、これだけ人口が増えると当然本来のmixiの理念にそぐわない連中も現れ始めるだろうし、コミュニケーション能力の個人差もかなりの幅を持つようになるだろう。

ネットでは情報の受け止め方にちょっとしたコツがある。

まず、それを真に受けずに、吟味し、ソースが確認できなければそれは不確定情報として取り扱う慎重さが必要だ。

次に、不快な情報に触れても自己責任、という姿勢。不快に思うか否かは個人の感性の問題である。あなたの好きなアイドルをコケにしているウェブページもあるかもしれない。しかし、それを見て不快に思ったところでその責任はページ管理者に安易に帰着し得ない。それは言論の自由の保護範囲内であり、あなたはクレームすることはできるが完全な勝者となることは難しい。それを心掛ける必要がある。

ただ、発信者側もこれが一部のビューアにとって不快な情報となりえることを意識し、断りを添えることがマナーであるとは思うけど。

(そしてこれはブログにも言えることだ。黒い話題に共感する人もいれば不快に思う人もいる。しかし、発信者として発信する自由はあるので後はマナーの問題で、不快に思う人を不快に思わせる前に退散させる、或いは不快に身構えさせる事が必要だろう)

こういったコツさえも踏まえない未熟なビューアが増えると、当然摩擦が多く生じてトラブルが増えていく。

また、友達と認識する心理的ハードルが低い人ほどマイミクを増やしていくが、マイミクが増えるという事はチェックする必要のある日記、掲示板が増え、負担が増加する。

現にITmedia Newsには『「mixi疲れ」を心理学から考える』なんて記事が掲載されている。

適度な距離を保つ事が難しい、コミュニケーションの深さ―レベルを変えるのが苦手な人々は確かに存在する。

日常においても我々は、仕事用、対親用、対子供用、対親友用、対知人用…様々なコミュニケーションの深さをコントロールして他人と交流している。それは同じ友人でも様々な階層を持っているだろう。

mixiについても、対mixi用のコミュニケーションレベルが必要となっていて、そして同じマイミクにも階層が形成されるに違いない。

ただ、それが出来ない人たちは苦痛を覚えるかもしれないし、いつかは去っていくものなのかもしれない。現実社会でのコミュニケーションと同様に。

それから、ネットワークはツールである。

だから、ネットワークに繋がっているという事は、ツールとして利用される事がありうると考えるべきなのかもしれない。

シンプルな見方をすれば、mixiマイページというのは、登録ブログと登録掲示板のRSSリーダである。

ただし、その登録は双方向であり、ブログの方には入るだけで向こう側に記録が残される。

高機能RSSを使っている、それくらいの感覚で楽しむのが良いのではないだろうか?

全部チェックしなければいけないなんて強迫観念に駆られてストレスをためるなんて馬鹿げている。

まあ、RSSリーダでストレスを溜めている人たちもいるそうなので、結局それはネットワークコミュニケーションのセンス―というよりも、適度ないい加減さ―が問われているのだろうけれど。

そういう割り切った姿勢を一体どれだけの人が持ちえるだろうか?

おそらくこのコミュニケーションクライシスは、パソコン通信からインターネットの爆発的普及への落差で生じた危機と同様のものであろう。ネチケットという言葉が生まれてもう随分経つし、このコミュニケーション危機は一度は乗り越えたはずなのに、今また更に簡単に情報発信できるツールがリリースされる事によって双方向の情報通信が可能となったネットユーザが爆発的に増加したために、再び同じ問題を乗り越えなくてはならなくなっているのであろう。

そういう意味で、こういう風にあちこちでおんなじ様な冷静さを求める記事が頻出する事は意味がある。言及が多いほど常識化は促され、共通認識となる。

ま、大して新奇性の無い大した事無い記事ですが、誰かの目に留まってネットの秩序構築の一助となれば幸いかなと思います。

(いかん。こんな記事に30分も掛けてしまった。はよ研究室行かねば)