最果ての楽園/Football

長い長い旅路の果てに、とてつもなく美しい光景が見えた。

それは憧れの世界。

遥けき理想。

立ち止まって眺めて続けたい。

けれどその光景は一瞬で過ぎ去っていった。

故郷を遠く離れて、その光景をまぶたの裏にとどめるために、彼は必死で目を瞑っているのだろう。

僕は、そう感じた。

サッカーの日本代表選手・中田英寿が昨日、引退を発表した。

“代表から”という枕の無い、正真正銘の引退。

誰が予想しえただろうか?

代表からは引退を表明するだろう、そう考える向きは多かった。

報道された分から5割引しても、彼の存在が日本代表の中でも特に際立っている事は僕にも推測できた。

そんな状況で彼の言葉は十分に彼のチームメイトに伝わっただろうか?

グループリーグ最終戦、対ブラジル戦の後でグラウンドにたった独りで横たわる中田選手を見た時、それは完全に伝わる事が無かったのだな、と思った。

宮本ですら近付きがたい存在だったのだ。

ピッチの外からでも分かる明確な距離。

中田選手は非常に頭が良い。

自分の状況を冷静すぎるぐらいに理解できる。

代表では遠すぎる存在。

チームでは、戦術的に扱いづらい特殊な駒。

それらを理解した上で、彼は今回の決断を今から半年前に下したのだろう。

丁度、新年を迎えた頃だったのかも知れない。

一年前のコンフェデレーションズカップのブラジルとの最高の試合を経て、日本代表は大きな自信を得た。

王者ブラジルとあれほどの闘いができるだけの実力が日本に備わった。そう思わせる内容だった。

本番のワールドカップでもそのブラジルと同じ予選グループに入り、同じく3戦目を闘う。

これほど意味深な舞台があろうか?

2006年は中田自身にとって特別な年だ。

サッカーを始めて20年、海外に渡って10年、年齢は30歳へと向かう。

総決算の年にしよう、そう考えてもおかしくは無いタイミング。

プロになってから「サッカーが好きですか?」と問われて素直に答える事ができなくなったと言う。

それはきっと彼の頭脳が鋭敏に彼に掛かる期待と責任を感じ取った結果であったように思う。

実際、僕達サポーターは玄人素人の区別無く彼にだけは変わらぬ期待を掛け、期待に応えようという彼の責任感に訴えて来た。

サポーターだけでなく、協会も、時には同じ選手すらも、彼に重圧を掛け続けてきた。

その期待に応えようとする気持ち。

果たせない焦燥感。

伝えようとして伝わらない事に自信を失う姿。

中田が全てを日本代表に注いできた事を感じる事ができる。

サポーターの期待に応えるために体を、声を、心を張って来た事が伝わってくる。

最後のブラジル戦は、完敗だった。

一年前の善戦が幻想だったかのように。

ブラジルはやはりブラジルであり、お手本となるサッカーの理想の一つを体現していた。

それはサッカーに関わるもの全てが憧れる完璧な試合運びだった。

そのピッチに立てる事自体が至福。

ブラジル戦の後に、引退を決意した彼の胸に還って来たものは、純粋なサッカーへの愛情だった。

そして、同じくブラジル戦後に彼に届けられたのは、多くのファンからのメッセージだった。

この二つの獲た物が、彼を安らげたのだと思う。

彼のサッカー人生の成果。

それを感じられたからこそ、彼はサッカー界を去ろうと決意したのだろう。

潔くは無い。美しくも無い。

ただ、自分の思い通りに彼は去る。

それも彼自身、承知の上の事だと思う。

だから僕は拍手は送らない。

日本には未だ中田が必要だ。中田自身がどう思おうとも。

日本は未だ中田に育ててやった恩返しを貰っていない。

中田は、日本のサッカー会でやるべき事がまだまだたくさんある。

だから、必ず日本のピッチに返ってきて欲しい。

日本のフィールドで、中田を歓迎しないピッチなどどこにも無いのだから。

いつまでも、どこまでも待っている。

ただ単純に、自由に、サッカーを愛する中田を待っている。

中田がフィールドに立つだけで、僕らは何かを学ぶ事ができるのだから。