不連続問題/myself

僕には、明日の自分と今日の自分とを切り離して考える悪い癖がある。

明日の自分のために、忘れないようにメモを残す。

メモは、明日の自分が見そうな所を予測して、配置する。

毎日必ず見る場所などないからである。

およそ気紛れで、気まま。

今日サボっても、困るのは明日の自分だと思う。

明日の自分が何とかしてくれるだろう。そう思う。

未来の自分に対して他人のように突き放す。

自分嫌い。

刹那的に死を願う。

けれど、明日の自分は生きたがるかも知れない。

明日の自分は死のうとする僕に怒りを感じるかも知れない。

そう考えると死ねない。

風景について意見を求められる。

今日は、廃墟のイメージを好む。

俗世から隔絶された、打ち捨てられた空間。

時が無残に崩して造り上げた歪なライン。

黒と白とその中間で塗りたくられた静寂。

その隙間に、自らが詰め込まれる様を思い浮かべて、安らぎを覚える。

しかし、明日はまっすぐで潔く、明るく、軽快なデザインを好むだろう。

凡そ、そういう好みというものは日々循環する。

今日の意志は、明日真逆になる。

感性は、反転する。

それを知っているから迷う。

今日はこの風景は嫌いだが、明日は好きになれるだろう。

実感からは程遠い、理性で予測する感想。

時間軸上では矛盾する感覚。

自己嫌悪が最強の矛を振るい、自己愛が最強の盾を構える。

朝には盾が守りきって、矛に刃こぼれが生じ、

夕には矛が僅かに優れ、盾に亀裂が走る。

今日の決意は明日否定され、明日の迷いは明後日振り払われる。

そんな毎日。

統一された一貫した意思など無い。

変わらないのは外面だけだ。

何故ならそれはある程度統一され、一貫しているのが普通だからだ。

それを仮面と呼ぶか。外装と呼ぶか。

とにかく内面は、絶えず変化し続ける。

明日の俺は今日の僕にとって変わる。

そして毎日それを平均化する処理工程を経ながら生きている。