死球対応せよ/NPB

ズレータが乱闘を起こした件は以前の記事で触れました。

その後、「すぐに謝らなかった金村も悪い」とズレータを擁護する意見も散見されましたが、僕はこれには賛成できません。

金村はズレータの威嚇(直後に睨んだ事を指すと思われる)に対して反発心を持ったと、試合後に語っています。

あの程度の内角球に威嚇は過剰反応と言えます。

死球を当てて喜ぶ投手などいないのですから(稲尾投手など多くの投手解説者談)、ズレータは無言で一塁に歩くべきです。その時点で初めて、投手は素直に頭が下げられるでしょう。

さて、それからほどなくして右手に死球を受けた清原。

全治3週間の怪我を負ったわけですが、彼はあろうことか乱闘宣言と言うべき過激な発言をマスコミの前で成しました。

前後を含めると、清原の心情は解らなくも無いですが、それでもこれは愚の骨頂としか言えません。

まず「清原は死球を避ける技術が非常にレベルが低い」、これを念頭に置く必要があります。あれは、“避けていない”のではなくて、“どう避けたら良いのか解らなくて当たってしまった”という状態です。あの程度の内角球を体で受けてしまう、或いは、筋肉の薄い部分で受けてしまう事が、打撃に与える影響は小さく無いでしょう。無冠の帝王たる所以はここにあるのかも知れません。

清原自身がそれを理解できていないのであれば、それは愚かであり、不幸な事だと思います。

そしてもう一つは、あのような発言は却って内角攻めを煽る結果になる事が理解できていない事が愚かです。

腕一本で結果を残す事を身上とするプロ野球において、言葉を使うのは最終手段です。しかし清原は言葉による威嚇に頼らざるを得なかった。それはつまり清原は内角球について自ら、最終手段を使わねばならないほど対応に手を焼いている、と公言してしまったのです。

更に、投手とは負けず嫌いの中でも、最上の負けず嫌いの集まりといわれ、自尊心が強いほど向く職業と言われます。こんな挑発をされて燃えない筈がありません。

また、あのような発言をする事で、逆に自分の意識を内角に集中させる事となり、発言の裏にある外角球への対応が鈍る。

それは言葉にせずとも同じ。「死球に対する打者の威嚇は百害あって一利無し」と言えます。

現に、昨日の清原はロッテバッテリーの内角を巧く使った揺さぶりによってノーヒット。

あんな発言をして事態が好転する事など見た事がありません。

死球を受けたら目を合わせない。

これが投手にすれば一番悪い影響を与えられるハズ。

死球は投手にとっても痛いもの。その上更に、当てた罪悪感も手伝って、動揺を増幅します。

更に、こちらが怒ればあちらも怒る。喜べば安心する。それが人間心理ですが、表情が見えないと投手は勝手にあれこれと想像せざるを得ません。

顔が見えない―怒っているだろうな…そんなに痛かったかな…いや、意外と冷静に?…切れてくれたら逆ギレできるけど、こんなに静かだと居心地悪い…。

人間って結構そういうものだと思います。

そして打者は内心で怒りに燃え、それを次の打席に爆発させればいいのです。

これが最上なのです。