2005年の1年の結果報告

おおみそかです。

大反省のための日です。

今年は一言で表現するとすれば「破壊と再生」の一年でした。

去年が最悪だったのを引き摺って、自分に価値を見出せず悶々とする日々。

自己嫌悪から自己否定に陥ったりもしたし、その辺の迷いをブログに吐き出したりもしました。

自分を構成する要素をひとつひとつ取り出しては噛み潰し、その本質を確かめる。ばらばらにして、見出す。自分自身を吟味する。

そうやって最後に残ったものを、ひとつひとつ重ねなおしていく。

崩壊と分解と再構成。

まるで、丁々発止の斬り合いの中で、折れてしまったなまくらを、寸を詰めて短刀にするのではなく、煩悶の炎でどろどろに熔かして地鉄に戻し、もう一度槌で鍛えなおすように。

まるで、大火事で全てを焼き払い、それども土中に隠れ火に耐えて生き延びた種子が発芽するのを待つような。

心の器の水の中に、色々なものをよく考えもしないで放り込んでしまって、何だかよく解らないままに或いは溶けて、或いは浮遊して、或いは沈殿して、様々に斑に色付いてしまった液体を、もう一度沸騰させて、結晶化して、化学分離して、そしてまた、正しい元素を器に戻す。

もう一度自分の根源を見つめる作業。

揺り戻し、巻き戻しをしながら、少しずつ進んで、戻って、行って、帰って、振り返り立ち返り、目を細め、遠見をし、堂々巡ったり、滑落したり・・・辿った道のりは複雑に交差して最短距離どころか最も遠回りをしたんだけど、でも、何とか一本道が見えてきた。

変に分かったようなフリをして来たけれど、これまでは何にもわかっちゃいなかった。そういう意味では、コドモだったのだと思う。

それでも原点に立ってみて、10年前に思い立ったけど常識的に無理だと思って挑戦もしなかった事が、やはり自分の本質なのだと解った。

小説家になる。

作家とも言う。それが僕の原点。中心。芯。基礎。

「○○ができるのなら死んでもいい」

と言う人がいる。僕はそれが全然理解できない。

「○○ができないのなら死んでもいい」

と言うのなら、それは理解できるし、僕もそう思う。

いや、むしろ、

「○○ができるのなら死にたくない」

と思う。

僕は「作家になれないのなら死んでもいい」と思うし、「作家に慣れたら絶対に死にたくない。百年生きたい」と思う。

そう、心の底ではずっとそう思って来た。

それを常識家がずっと奥に押し込めていた。分離していた。

常識的に公務員になって、平凡に暮らすのだと考えていた。

それが意外に成績が良くって、大学行って、国Ⅰ目指す事になったりしたけど、本質は違っていた。

それになるために必死に頑張れるもの、その実現のために全力を注げるもの、その成果物に絶対のクオリティを追求できるもの、それはやっぱり小説家。

・・・と言っても、通常作品で食える位にヒットするのは40歳前後みたいだし。最近の10代、20代のヒットは稀な現象。(ライトノベルはそうでも無かろうけど)

それまでの生活の糧は自分で稼がなきゃいけないし、先ずは就職だな。

あとは気長に書くのみ。20年計画ですね~。

とりあえず・・・と、これ以上書くと来年の抱負になってしまいそうだ。

と言うわけで、そういう今年得たものをここに記したって事で、今年の記事を終わろうと思います。

では、来年も宜しく!

・・・と、言いつつ5日分の夢日記をこれから書かなきゃいけなかったりする(苦)

それと、年賀状を書いていません。医者の不養生ならぬ、郵便局員の筆不精です(息子ですが)。

今年中に間に合うかなぁ・・・?