東野圭吾『秘密』(文集文庫)

広末涼子主演で映画化された作品ですね。僕は見てませんけど。

なかなか面白い小説でした。

物語は悲惨な事故で娘の体に妻の意識が入ってしまう所から始まる。

娘の体は思春期を経てどんどん妻に似始め、妻の意識はどんどん新しい人生に適応していく。

それを見守るしかない父であり夫である平介は・・・。

そのぎりぎりのアンバランスな関係が苦笑せざるを得ない。そういう面白さ。

思春期の親子関係のパロディに夫婦愛で味付けして、深く複雑な作品に仕上がっています。

とまあ書評はこの辺で終わって、ここで僕は結末で平介が到達した解答とは異なる、もう一つの解答を提示したいと思います。

以下はネタバレするので「続きを読む」に↓↓↓

さあて、最後に平介が到達した“秘密”は、「妻は消えた振りをしているだけで、今も娘の中で行き続けているし、自分を愛し続けている」でした。そしてその証拠が“妻の指輪から作った新しい指輪”と“ウェディングドレスを着てる藻奈美の顔”であると考えています。

確かに、これは納得できる答えです。妻の指輪の隠し場所が二人だけの秘密である事、それを敢えて平介に内緒で作り直すという行動、そこに直子の意思を感じることは可能です。そしてこの解答には、平介の決意に応えて自分を殺すことを決意し、完全に実行した直子の意志力の凄まじさが想像されるだけに、疑いづらい雰囲気があります。

しかし僕は納得いきません。

平介はそう納得して文也君を殴れば気が済むのかも知れませんが、殴られた文也君も消えたままの藻奈美も可哀想です。

だから僕はこれに対立する解釈を提示したいと思います。

それはやはり直子は消えて、藻奈美が生きている。人格の交代は起きた、という解釈です。

その最大の論拠は藻奈美が初めて文也と会った日の夜の描写です。

藻奈美は瞳を輝かせ、酔っ払ってまともな答えが期待できそうも無い文也に無理に数学の質問を聞いています。

娘か妻のどちらかが、平介の前で、初めて出会った若い男に心惹かれている―これを平介説では妻の直子が、夫である平介の前で、初めて出会った若い男に心惹かれていると解するしかありません。直子の性格を考えると、それは極めて不自然です。ありえない。直子は夫への愛を証明する為に、娘の貞操を差し出そうとする程の極めてまっすぐな女性です。夫の前で心が揺らいだとしても、すぐに行動に移すとは考えられません。この場面はやはり、娘の藻奈美が文也に一目惚れした描写と捉えるべきです。

むしろこの場面から藻奈美が強まり、直子は消えてしまったのだと、僕は解釈します。

では指輪はどう解釈するのか?

想像してみてください。

藻奈美にとっても件のテディベアは特別な意味を持つとても大切なものです。なぜなら藻奈美にとって、直子が関わっていない純粋に藻奈美だけの思い出は、小学5年生の頃にまで遡らなければならないからです。その遠い思い出の中でも大事にしていたテディベア。家族三人が揃っていた頃の思い出での象徴でもあるでしょう。

そんな大切な思い出が詰まったぬいぐるみを、藻奈美は折に触れては抱いたり撫でたりした事でしょう。そうやっている内に、何やらぬいぐるみの頭に異物が入っている事に気付きます。

経験ありませんか?余程中心に入れない限り、ぬいぐるみの中の異物には案外気付きやすいものです。

異物感のある頭部。よく見るとその近くには手縫いしたような痕跡が認められます。当然藻奈美には覚えがありません。すぐに直子の仕業だと気付きます。もしかしたらまだ見ぬ伝言かもしれない。藻奈美は期待しつつ手縫いの糸をほぐしました。

直子は指輪の秘密は藻奈美に伝え無かったでしょう。しかし、テディベアに隠された指輪は確実に、娘・藻奈美に母・直子の気持ちを想像させたでしょう。藻奈美も、憧れる人がいるようなお年頃の少女なのですから。

母の結婚指輪がテディベアに隠されていたという事実は藻奈美にとって、常に傍に置きたいと思う母の父への永遠の愛の証のようであり、母から娘へ託された思いのようでもあります。確実に言えるのは、それが家族三人をしっかりと繋ぐ物だという事。

その指輪を受け継ぎたいという藻奈美の想いは当然だと思います。

しかし葛藤はあったでしょう。父はそれが母の指輪でなくなることを悲しむかもしれない。

だから娘はあくまで父に秘密で母の指輪を作り直した。

そう解釈してみてはいかがでしょうか?

子の心、親知らず。親の心、子知らず。されど、愛し合っているのは確か。

男はいつも勘違いしているけど、幸せなんです。

それで良いじゃないですか。

僕の提出した解釈は、『オリエント急行の殺人』でポワロが提出したもう一つの解答と同じ性質のものです。

それが正しいと思う人が採用すれば良いでしょう。