誕生日という区切り

今日は僕の24歳の誕生日です。

完全に私事ですが、まあ、こういう日にしか思いつかない事もあるのでちょっと一筆したためて(?)みようと思います。

二周り目が終わって三週目の始まりですね。

24年か・・・よくここ迄生きてこれたなぁ、というのが率直な感想です。

バスの前から飛び出して跳ねられたり、

中1~暗黒の1年間~があったり、

去年も色々塞いでいたり、

元々生命力が強い方ではないのによくもまぁ耐え切った、という事です。

あんまり自分に自信は無いのですね。

それでもここまで生きてこられたのは周りの人々の存在があってこそなのだなぁ、と今更ながら思います。

ありがとうございます。

この1、2年は、本当に矢の如く日々が過ぎてる感じで時間の鏃に苛まれています。

それで毎日のように「時間が早くなるって本当だな」と思い、そして「それは新しい事を経験しないから記憶に残らない」という話を思い返して、自分の至らなさにがっくり来たりしていました。

しかし、ふとこうやって区切りの日に思い帰して見ると、やはり1年はずっと等しく1年であってそれなりに僕の人生の中で意味を持っているように思えました。

それは不思議だけれど実感はそうなのです。

時間が過ぎるのは速くなったけれど、かと言って思い出が減ったわけではない。

思い出の分だけ人は変わっていく。

この1年で僕はまた一つ違った人間になりました。

それは1年後もきっとそうでしょう。

元々僕はあんまり年齢に頓着が無い人間なので、年取って悲しいとか嬉しいとかはありません。

あれやってないこれやってないとか焦る事も余り無いですね。

そういう感情はずっと心の隅っこの小さな存在でしかないです。

きっとこれは30歳、40歳になってもそんなに変わりはないでしょう。

心を占める大きな思いは、「刻々と死に向かっている中で、今も綽々と意思を持った僕は生きていて、着々と思い出を積み重ねているんだ」という喜びでしかないのです。

人の多くは70歳まで生きるのでしょう。

でも自分がそれに当てはまるとは必ずしも思っていません。

人の言う「限られた時間」がはっきりとした数値を持っていない以上、急げば必ずやりたい事が実現できるとは限らない。

むしろ急ぐ事で心を擦り減らすくらいなら、そうして確実に死期を早めるくらいなら、のんびり生きて行きたいなぁと僕は思います。

それに僕の発想はいつも突拍子も無いから、実現させようと思ったら大変な時間と労力が居るんです。

つまり自分の力の及ぶ範囲外の事しか思いつかなくて、自分の力の及ぶ範囲、または自分に直接の利益がある事にはまるで頭が働かないんです。

そんな無謀な発想に必死になるなんて馬鹿げているでしょう?

だから僕はのんびり生きていくのでしょう。

うん、そうやってもう一回りしたら36歳か。

無事に生きていると面白いなぁ。