『リアル鬼ごっこ』山田悠介(幻冬舎文庫)/感想?

あまりにもイライラするので全然読み進められなかった山田悠介リアル鬼ごっこ』だったのですが、そのイライラの原因が何であるのかに気付いた瞬間にすんなり読めてしまいした。

<そのために起こしてしまったごたごた>⇒当ブログ>「ブクログコメントについて/小説」

この『リアル鬼ごっこ』に感じる苛立ちの原因とは、この作品がどこまでも自分も昔書いたことがあるような「未成熟なアイディアノート」にとてもよく似ているからであったようです。更に言えば、その未熟さにも関わらず書籍として一般に広く売り出され、そして売れているという事実に対して僕が嫉妬を感じているのだ、と気付きました。

リアル鬼ごっこ』への否定的な書評に多く見られるのは、「設定が浅い」とか「文章がこなれていない」というものです。つまり、発想を通過した肉付け部分へ批判が集中しています。

一方、肯定的な書評では、多くがそのアイディアや全体的な流れの面白さに注目しています。これは確かにそういう部分がいくらかあったという意味で同意できます。

確かにこの作品には素材やちょっとだけだけど光る文章があります。だから、文章や設定に細かく目を向けなければ十分に楽しむことはできるでしょう。

しかし、深読みに慣れてしまった人たちにとっては、素材を活かしきれていないこの作品は食材への冒涜に等しい悪徳を感じざるを得ないのです。その怒りが、手厳しい批判に繋がっているのでしょう。

う~ん、感想は以上です。

(追記080125)

ここでいう素材とは、タイトルです。

リアル鬼ごっこ』という題は普段の鬼ごっこに対して“リアル”であることが想像されることから捕まった人間が殺されてしまうのだろうと予想がつきます。さて、この発想をどうふくらますのか?鬼はだれにするのか?ホラーなら謎の怪人に設定してもいい。しかし、それは“リアル”と呼ぶには足りない。“リアル”と冠すからには、なるだけ現代に即した形で状況設定を矛盾無く行うのだろう。そう考えるとぱっと設定を思いつけない。そのぱっと思い付けないという点にオリジナリティが生まれる。

なのに、王国があって、王様がいて、佐藤探知ゴーグルが出てくるというのは、安易な解決策に過ぎるというもの。

まだ、『バトルロワイヤル』のほうが説得力がありました。あれは、「国力が落ちたので根性のある人間を育てるために殺し合いをさせて淘汰を強めようぜ」っていう話でした。殺すのは極端であっても、それが「実戦の殺し合い」に仮託して現代の学校における「精神的殺し合い」を暗喩していると取ると、俄然リアリティが増したものですが……『リアル鬼ごっこ』にはそれも無い…と思われる。

素材以外の部分、つまり、考えさせられる所が小説中から出てこないんです。

この小説がヒットしたという事実に考えさせられる部分はありますけど…。

やっぱり、面白いかもしれないけど、良作と呼ぶことはできません。

大幅に加筆修正されたという幻冬舎文庫版で、いわゆる「山田文」もほとんどありませんでしたが……地の文の視点の効果を持たないブレなど、まだまだ問題があると思います。あの「リアル鬼ごっこ○日目……終了」という書き方がフキダシを想像させるなど、どうにも漫画をそのまま実況しているかのような書きぶりが気になります。それが、こなれない文章の原因なのでしょうが。

……やはり、駄作の域はぎりぎり脱していないと結論したいと思います。

もちろん、嫉妬心を含んでの評価ということをお断りせざるを得ませんけれど。

(追記終了)

(080124追記)

パロディ色の強い改造案をまとめてみました。生暖かい目で見てください。

「リア鬼改造計画/小説?」

(追記終了)