27週目はいりまーす/birthday

本日19時8分に26歳になります。

しかし、体調がイマイチでだるいです。

そんなことどうでもいいのですが、非常にいい加減な状態なので、このエントリもいい加減にすごそうかと思います。mixiを表にしといて、こちらは裏会場になります。

来週ゼミがあるのですが、今週はぼんやぼんやしてたので何にもなっていません。大ピンチです。でも、どうしようもないのね。頭の中で死ね死ねコールが起きていますが、でもそんなの関係ねぇ!大丈夫です。あはははは。どーでもいーですよ。あー、いやだ。なんも思い通りにできてない。昨日も夜更かし、今日も寝坊、だるくて社長出勤、腐ってブログ書き。失望した!自分の(ry とにかく、変です。薬が変なほうにはいっちゃったみたいな。いえ、そんなキケンな薬は見たことも無いです。谷川俊太郎曰く、「なんだ。普段と変わらないじゃないか」。ですよねー。僕もきっとそうだと思います。きっと元から変な人には必要ないんですよね。機能分担ですよ。人類全体では360度すべてを見ているが、個々の人間で見えているものは限られている。変な人たちは、普通の人たちの後ろっかわを見ているんで、普通じゃないんです。僕は…僕はどこを見ているだろう?ここはどこだろう?うちっかわ。こっちはどっち?だるい。だるいです。僕はくるくる回っているような気がします。それで目を回すときが今のような気がします。きょろきょろしすぎで、いろいろなことに興味持ちすぎで、それでぐったりしてしまう。だから眠って整理して、そんだ起き上がって、時々わけわからんこと書いて、そんで「わけわかめ」って言われてキョドる。普通のときと普通じゃないときと、いい加減なときといい加減じゃないときと、極端なときと極端じゃないときと、なんだかそういう微妙なニュアンスの違いが日々移り変わりながら生きている。ああ、だからうまくコントロールできない。でも操縦しなくてはいけない。ロストコンパスしてない。でも。あの、終着点を期待する。ここは、まだまだ遠い。でも、僕の安住の地はそこにしかない。そこ?そこかしこ?僕はまだジャングルの中にあって、いつ命を落とすか解らない気分でいる。気分だけ。精神だけ。精神だけがそういう危険な場所に存在するつもりになっていて、肉体的には極めて安全な地・日本に居る(それもこの数十年でどうなるか解ったものではないが)。それにしてもこのアンバランスさ。くだらない矛盾。どちらかが妥協して適応すれば良いのに、どちらも対等に譲ろうとしない。それらは論理的に対等ではなく時間的に対等の関係にあって、等しく論理を提示している。そして環境がそれを許している。くだらない。くだらないよ。面白くない。いや、面白い。僕の人生はそういう矛盾が、否、否、否。どこだろう?どこに行くべきだろう?知らない。知らない。そういう迷いがある。この結論寸前の一瞬の迷いによる方向転換がこの僕の本質。低劣な、死すべき悪癖の持ち主。自覚せねばならない。その迷いを断つのは他ならぬ自分であることを。迷っている自分を偏愛することをやめよ。それは無限の循環。決して前に進まないもの。停止。それは死。引き裂かれる小鳥を見る。見られている小鳥も、見ている者も、どちらも自分であるという被虐と加虐の両面を仲裁せよ。私は生きているべきなのだ。今日はそういう日だろう?今日は、今日だ。見えない。見えないか?

ああ、時間の無駄だよ。

そんなこと忘れて、食べて、眠れ。

きっと来週にはまた風向きが変わっているさ。