「遺伝子の乗り物」という概念の人間的解釈/daily

柳沢厚労大臣がまたも際どい発言をしたみたいですね。

柳沢厚労相:「子供2人以上が健全な希望」記者会見で発言毎日新聞 2007年2月6日 11時10分)

……で、これに対して早速野党が上げ足取り。

柳沢発言問題:「健全」発言に強く抗議 社民・福島党首ら毎日新聞 2007年2月6日 13時38分)

ちなみに、柳沢厚労大臣の前の「失言」はこちら。

柳沢厚労相:女性を「出産する機械」とも例える発言毎日新聞 2007年1月27日 22時32分)

これに関して思うこと。

要約にも程がある。

記事に恣意的なものを感じるよ。

ホント新聞って……

まあ、それはどうでもいい。

この件を機に少し考えた事を以下に書く。

※注意※

以下、やや飛ばしてます(汗

人間を含む古典的定義での生物は即ち「遺伝子の乗り物」である。

自らを複製する機能を有するタンパク質の複合体が、その物理的性質に従って増殖している。その過程で生じる競争に生き残る武器―オプションとして肉体や脳は存在する。ただそれだけ。

有性生殖においては、女性が産む機械なら男性は射精する機械で、男女のつがいが両輪で一つの乗り物を構成している。

それは片方が欠けるとどうにもならなくなってしまう一見非効率なシステムにに見えるが、実は進化のために効率的に突然変異を起こすには2性が1性か3性よりも有利である。

しかし、人間に限って言えばこのシステムは非効率になりつつある。人間は知能と社会性が発達し過ぎたために、何事も面倒臭くなってしまった。本能に任せて定期的に発情期に交尾→出産していたものが年がら年中発情期になってしまって、しかし欲望に任せて毎年毎年妊娠してぽろぽろ子供を産んでいたら他の種との生存競争ではなくて同じ人間との生存競争に敗れて死んでしまうのでそうもいかなくて、だけど性欲は理性では抑えられても無くなりはしないから、どうするかと必死に考えて、古くは和紙を中に仕込んでおいたり、今では最新技術で限り無く薄くした合成ゴムの隔たりを用いたり、クスリに頼ったりしている。

産むにしろ産まないにしろ、性欲の対象も本能に任せて選択するわけにはいかなくて、両性の合意に基づかなければ法に従って社会的制裁を受ける羽目になってこれまた生存競争の敗者になっちゃうから、この乗り物たちは必死に社会的生物としての武器であるコミュニケーションスキル―着飾ったり、匂いを帯びたり、贈り物をしたり、食料を取ってきたり、愛の巣を用意したり、そういう求愛行動の手練手管でそれを成し遂げる。また、それがしたくてもできない弱者は、いろんなものの助け(主に他人の妄想を具体化した物の複製)を借りてとりもなおさず虚しく妄想の副産物として処理をしていたりする。

そういうコミュニケーションの上で何が面倒かというと、性別の違いからくる両性の世界観の違いというのが厄介で、特に女性は産む機能を維持するために生理という難物を抱えていたり、出産というものが膨大な時間とエネルギーを要するものだということ痛切に感じているし、その点男性は生理的な負担が少ないのだから労働的な負担を頑張ろうぜ!って言うと封建的だ!って言われるから、つまりはそういう点についていちいちにいにいさんさんしいしい逐一合意を取っていかなきゃなんない。そんな合意がどこかで崩れているからこんな風に少子化になってんの。めんどくさい。

けれど、そういう繁殖するにも一筋縄じゃいかないオマケがごてごて付いているのが如何にも人間的な面倒臭さがあって、それが人間を単なる「遺伝子の乗り物」でない何か面白いモノにしているわけです。

だから、柳沢発言①はものの喩えとしては全然大したことはない。ただ、少子化対策の担当大臣としては軽率だっただけ。

柳沢発言②も「遺伝子の乗り物」として見たら当然健全と判断されてしかるべきで、そして一つのつがいから三体以上の個体が産まれていないコロニーは遠からず滅ぶでしょうから、確実に不健全と言えるでしょう。ただし、不健全だと批難されるべきは、「産みたくない」と思っている当人ではなくて、多くの夫婦にそう思わせてしまっている社会全体である。つまり我々すべてが不健全なのだ。

「子供を二人以上産むのは個体の生存競争の上で不利」な状況を、倫理的ではなくて合理的に覆さなくてはなりません。

それが少子化対策

そのためには、産む産まないで税務上の差をつけるのは当然で、そういう対策を打つ以上は若者世代の産みたい意志を「健全」と評価するのは為政者側として当たり前。

ただ、公言するのはいかがなものか。本音と建前は使い分けないと。あれでも抑えているつもりなんだろうけど柳沢氏は発言の節々から古臭い考え方がにじみ出ている。今後も舌禍に見舞われること請け合いなので、首相には首をすげ替えることをオススメする。

たんぱく質製の自己複製する機械が、進化の果てに今やこういう政治や経済などの巨大で得体の知れないシステムを搭載し、自らが作り出した機構の中でもがき苦しんでいる。そういう単純な増殖機構以外の部分全てが、生物の、人間の面白さであり、美しさだと思う。