年金という投資/daily
何となく年金について着想があって、頭の隅っこに引っ掛けといてから1週間、何となくカタチになった。
年金制度の本質は、次世代への投資ですよね。つまり……
①現役世代から徴収した金を、②国が次世代への投資という形で運用し、③次世代が現役となったら投資を回収して、④今や退役した顧客へ投資結果に見合う額を支払う。
……という形です。
年金支払いには国庫からの支出が可能となっています。
つまり、三権分立の中で考えると、社会保険庁=行政の運用上のミスを、国会が決定する国家予算で補填してるんです。
ここに、国会が社会保険庁の運用状況を監督する義務が生じるはずです。
そして、国民は選挙によって国会を監督します。
一種の目的税的ですが、立派に民主的に整合性が取れてます。
ただ、社会保険庁は運用対象を、現役世代が快適に働くための何かや次世代の生産性を高めるための何かに投資しなくてはなりませんので、投資の回収状況が明快ではないですから高度な判断力が必要となるでしょう。
それが、正しい形のはず。
現在の年金制度の問題は、国=社会保険庁が②をいい加減にやった結果、評価損が発生していたり、投資ならば④における投資結果に見合う額の支払いという部分が大事なのに、それが有耶無耶のまま③へ逆捩じ食らわせている点にあります。
もっとコントラストをはっきりさせるなら、①~③の段階では投資的に、④の段階でのみ貯蓄的に、年金を扱っている一貫性の無さに問題があります。
どっちかにしないと負担する現役世代と受益者である退役世代の間に深刻な対立が生じてしまいます。
いや、生じています。
現在の現役世代はこの問題点に気付いて、投資の委託先を変えようと考えています。
国民年金法に加入を義務付けられてはいますが、罰則規定もないですし。
逆に退役世代、或いは退役を間近に控えた世代は、これまで通り現役世代に負担をさせようとしています。
何故なら、社会保険庁から貯蓄的な説明を受けてきたからです。
でも、彼らは社会保険庁を監視し、問題を後回しにしない義務があったと思うのです。
年金の本質は次世代への投資です。
次世代を育成しそこなった世代は、その投資リスクを受け止めなければなりません。
現在、その育成ミスは「少子化」という形で顕在化しています。
育成ミスの顕在化の様式は他に「経済的停滞」もあります。
辛うじて後者は発生していませんが、現役世代の負荷が増せば労働意欲を削いでこれにつながるかもしれません。
つまり、そういう年金の本質を取り違えた結果が現在の混乱に繋がっているのではないかと思いました。
ちなみに、社会保険庁がどんなふうに考えてるかについては、年金保険制度について解説した「公的年金制度の役割」がわかりやすいと思います。
僕は……こんな説明では納得できないですけど……。