母校は…/daily

「どっかの高校」にわれらが母校は含まれていないようです。

われらが母校では、世界史を一年生でやっているとのこと。

現役生を娘に持つ方がバイト先におりまして、今日話してみたら

「やった~♪向こうが勝手に自滅した~♪」

と喜んでいらっしゃいました。(汗

…やはり…!!!

どっちか分からない以上、「察して」と書くしかなかったわけですが…あぶない、あぶない。

ええ、これで良かったのです。

いや、よくねぇな。

世界史Aの中身は薄かったです。

僕は全部読みましたから知っています。

あの厚さで世界史を学んだとするには、ちょっと甘すぎます。

あれじゃ単なる暗記物。しかも大学入試に出ないのなら、生徒としてはほとんどまじめに取り組まないでしょう。

世界史を学ぶ目的は、歴史を繰り返さないためにあるのです。

そのためには歴史の流れを意識することが重要。

そして、その流れが形と規模を変えながらも世界の各地で繰り返されて来た、その愚かさを学ぶためには名前の羅列で終わらない世界史と言うものが必要です。

そして、その世界史を学んでこそ日本の近代化の意味が理解できるし、かの大戦の実像を議論する上での必須の素養となるのに…。

世界史の無い日本史など無意味だし、日本史を学ばないという選択肢もおかしい。そして、現代社会と地理、政治経済とはほとんど重なっているはず。倫理も世界史に絡めて学ぶべきでしょう。時代の変化に伴って倫理観が変遷していくようすを実感することはとても大事です。

これら互いに深く関連するものが、全く別個のものとして取り扱われている現状に、地歴公民分野の意義を見出すための課題があると思います。

世界史Aが学ぶ価値が無いと思われている。

いえ、他のいくつかの教科も切り捨てられていたのですからそれらの教科についても、学ぶ価値がないと思われている。

実際、世界史を履修した人達から未履修の人達へのコメントには、「我々が受けたのに受けてない者が同じに見られるのは不公平だ」というものが多い。そこには世界史が必須の教養であると言う意識はほとんど見えない。世界史の教養がしっかりと意味を成していれば「世界史を受けていない者は不幸である」という意見が多くてしかるべきだろう。

活きた教養にならない、センター試験用の知識に留まるのならばそもそも不要であることには変わりない。

もっと意義のある、教科間の連携を考えたカリキュラムを考えてほしいです。