循環/思索

毎日、情報を雨のように浴びている。

雨が大地に滲み込むように、情報は脳に吸収される。

静かに雨が大地に蓄えられ地下水となるように、情報は脳に蓄えられて知識となる。

地下水は伏流する。高きより低きへと、安定した状態へと至るべく。

知識は結合する。無関係から関係へと、安定した状態へと至るべく。

地下の流れが十分な量を持ち、地表へと姿を現したものが川だ。

それは、知識が十分な量を持って理論へと姿を変えるのに似ている。

流量が不十分な時、生まれたての川は広いくぼ地に入って一端流れを止める。しかし、雨が続く限り川はくぼ地に注ぎ込み、やがてくぼ地を満たして再び端を発し、流れを再開するだろう。

知識が不十分な時、生まれたての理論は行き先を失ったように感じられる。しかし、この川のように量が足りないだけであり、じっと知識を蓄えていればいつかは満水となり、再びどこかへと流れ出す事ができるだろう。

また、時にはどうしようもない砂漠に至ることもあるだろう。

全ての流れを食らう砂漠。

しかしそれは単に道を誤っただけのこと。

流れは何処かにあるはずだ。

そして試行錯誤を繰り返し、いつか論理は大海へと至る。

一つの小さな流れが次第に大きな知見となり、そして全ての源となる。

そしてそこから新たな情報が生まれ、また僕らに降り注ぐ。

知識は循環する。