虚像/NPB

今日、ふと思った。

巨人というチームは実は10年ほど前から存在していなかったのではないのか、と。

FAやトレードによって組み上げられた今の巨人打線には、巨人が育てた生え抜きの姿がほとんど見えない。

清水、高橋、仁志、二岡は即戦力野手で、入団してからほとんどプレースタイルは変わっていない。「巨人に入って得たもの」を感じさせる事はほとんど無い。

二軍から育った選手が必死に一軍に定着しようとする様というのは、選手への愛着をファンの中に植えつける。

僕もホークスを応援しながら、若い選手の試行錯誤を応援する。

苦労して掴んだレギュラーを、放すな、頑張れ!

そういう風に思わせる。育つ喜びを感じさせる。

巨人はそういう思いから程遠い10年を過ごして来た。

外から即戦力を取って来て、それが活躍しなければ「期待外れだった」の一言。

育つ喜びはそこに無い。成長が無い。

誰かがレギュラーを取るという事は、その前任者が追いやられるという事だ。

そこには継承の風景がある。

これも、また感動を生む。

ホークスには王監督が教え、秋山や工藤が示したプロ精神が、小久保へ、城島へ、松中へ、斉藤へ、そして川崎や新垣、和田、杉内、そしてそれ以下の若い選手達へ、受け継がれる歴史が積み重なっている。

衰えた選手の意思を、それを越えた選手が継ぐ。その継承の風景が感動を呼ぶ。

巨人はどうだろう?

そういう繋がりはあったろうか?

巨人のレギュラーポジションは、克服と継承の形ではなく、首切りとすげ替えによって変わって来た。

斎藤からは?川相からは?篠塚からは?巨人の精神はどこへ行ってしまったのだろう?

今、小久保を介して王監督の精神を導入しようとしている事がそれを如実に示しているように思う。巨人は精神を失っていたのだ。

うわべだけの強さを追った報いか。その巨像の中身は何時の間にか虚ろになってしまっていたのだ。

一度失ったものを取り戻すことは難しい。

ホークスは王監督を招聘し、秋山や工藤らの常勝軍団ライオンズの血を入れてなお、初優勝は王監督5年目の事だった。

今の巨人が王監督就任当時のホークスほどには負け犬根性が染み付いていない事がせめてもの救いか。

タイガースが蘇るまでに野村監督招聘から数えて3年。

ただしこれはファーム日本一を勝ち取る優秀な若手の存在あってのことだった。

ロッテ優勝はボビーバレンタインの就任が大きかった。膨大な投手力と図抜けてはいないが均質な選手層を利した戦術、そしてプレーオフ位年目の経験あってのことだった。

今の巨人に適した治療法は一体どんなものなのか?

とりあえずそれは今季のように他球団からつなぎの選手を取る事ではなかったようだ。

残り少ない後半戦、来季へ向けて原監督がどのような采配を見せるのか。注目したい。