ひととせ/daily
1年って言うのは、考え方が変化するのに十分な時間だ。
例えば、1年前は村上龍の『半島を出よ』をかなり褒めた記事を書いたけれど、今はあんなにまで褒める事は無かったかな、と少し冷静になっている。
イシハラグループの描写は好きだけど、あれほど熱を持って推薦するほどの事も無かったかな。評価も星4つを撤回しても良いかな。と思い始めている。
アレは『希望の国のエクソダス』と同じレベルなのかも知れない。そうだとすると、『希望の国の~』が出た当時に「凡作」と一見して判断した知力から、昨年の僕は随分衰えていたということなのかも知れない。
そして今それを反省しつつあるということは、幾分冷静な自分を取り戻しつつあるということなのかもしれない。
一方で変わらない考えというのもある。
例えば、靖国神社に関して記事をこの記事の二つ前に書いたが、その考え方は基本的に1年前と殆んど変わっていない。
1年で変わらなかった考え方は、かなり自分に定着したものであることを示していると言えるし、逆に、その事象に関する知識が過去1年間で少しも新しい蓄積を得なかったということを示しているとも言える。
時間は、変化した部分と変化しなかった部分と変化しない部分とを分ける。
僕はそれを感じ取る。そして、自分を掴む。
この1年で670を超える記事を書いた。
そこには幾つもの発見と幾つもの喪失が記録されている。
しかし、これは僅か1年の変化の記録。
僕は24年半でもっと多くの変化を積み重ねて来た。
そして、これからも変わり続ける。
ってか、変えなきゃいかん部分が多い。
居眠り癖とか、過剰な楽天主義とか、安請け合いとか。
あ~あ…、まだまだ未熟っす。