鼓舞/daily
僕は、下らない。
怯んでる。
認めたくないけど怯んでる。
だから、あんなに手抜きして追い込んだのに、それでも怯むか。
生きる道はこれと見定めたのに、それでも怯むか。
期限は近い。
幾何も無い。
それでも怯むか。
ああ、畜生畜生畜生。
大体、全ての「普通の道」を逃避であると、心の底から思っているのに、それでも怯むか。
その道を上る事を怯むか。
何か特別で在りたいと言う、近年の若者気質に自分も侵されている事が不満なのか?
下らない。
特別を望んで何が悪い。
この世に在ると言う事は、何かにとって特別であるという事だ。
だから、それは特殊な事ではない。
ただ、その「何かにとって」が、「世間にとって」というとてつもなく大きい事に怯んでいる。
これが存在意義だと見定めたからにはそれを体現せねばならないが、それが若し否定された場合、僕はどうするのだろうという愚にもつかない不安がよぎる。
いや、否定されても、否定し返したい、そう思える道だからこそ、見定めたのだ。
それが正しい。
日常が崩れそうなほど、非日常な其れがぴったり来ている。
だから、調子を乱しているのだ。
それはある意味間違っていて、ある意味正しい。
だから、この道は正しい。
後は歩き方をもう少し修正するだけ。
失敗した時の事は、失敗してから考えよう。
死に関わる事を除いては、それで十二分に間に合う。
歯の根が合わなくても、書ければそれで問題は無い。
呼吸が苦しくて、胃が蠕動して、頭が痛くても、それも問題は無い。
生きている限り問題は無い。
為すべし。
生すべし。
成すべし。
僕は、降らない。