心の闇?/社会

岐阜県の女子中学生殺害事件が、男子高校生の逮捕・自白で終幕を迎えました。

またぞろ彼の心の闇を探る報道がなされるのでしょう。

そして、少年法や刑法の厳罰化が議論されるのでしょう。

しかし、それで良いんですかね?それでこれらの犯罪が無くなるんですかね?僕はそれを疑問に思います。

彼らの闇を探りながら、それをどうやって抑止するかについては極めて浅い議論しか成されない。それが不満です。

結局厳罰化というのは、黒い欲望を押さえつけようとするものだ。だけど、欲望は膨らむもので、いつかは解消されねばならない。

心の闇は蓋をするだけでは駄目だ。蓋をして、隠してしまうとそれが蓋の向こうでどう成長したか解らない。蓋の下でどんどんと深まっていって、いつか溢れ出す。笑顔とか礼儀正しさの蓋の下で、その怪物は成長する。蓋は外的な要素でしかない。内的な要素である闇ほどには、本人に近しい存在でない。いつか彼らは闇に惹かれて、闇に落ちる。闇を否定する事は自信を否定する事となる。それは、自らを死刑に処す事と同じ。だから、闇になった者は罪とその罰を恐れない。

だから、厳罰化は究極的な解決方法ではない。それは誰もが解っている筈だ。

心の闇を育てないようにしなくてはいけない。

もっとポジティブな方向に欲求を向けるようにさせなくてはいけない。

欲望を屈折させない。閉じ篭らせない。そうしなければ。

その責任を個々の家庭だけに押し付けてはいけない。蓋が、表情からドアに替わっただけだ。

少子化の時代にあって、教育は家庭と学校と地域が担うべきだ。

プライバシーを的確に守りつつ、お互いにお互いを見守らなければならないだろう。

人と人との繋がりの中にあってこそ人間なのです。人と人とが繋がっていない社会で、人間なんて育てようが無いじゃないですか。

そんな事を考えました。