目を開いて、見る夢
私事で恐縮ですが、ちょっと長めに昼見る夢の話を一つ…。
この間、通っている美容室suiteの店長・大悟さんと昼見る夢の話をした。
それは僕にとっては格好の話題だった。
昼見る夢の問題は、ずっとこの2年ほど悩み続けてきたことであり、そしてその時、殆ど答えは出かかっていたからだ。
それを知ってか知らずか、大悟さんは“迷う時は夢を100個書き出してみると良い”という話をしてくれた。
「30までなら割と簡単に書ける。50まで行くとなかなか出てこないからかなり下らないのが多くなって、70になるともう思いつかなくなってくる。でも、書くことで自分のしたいことを確認できるよ。」
僕は思った。
(100も要らないな)
と。
一番揺るぎない、一番大事な夢はもう、頭では解っている。
お客に向かって安易な否定の言葉は言わないだろうという予想の下、僕は決心して言ってみた。最初に否定されたくないし。
頭では解っているものを、頭の外に出して確認するために。
「僕は―10年位前からですかね―ずっと小説家になりたかったんです。それが、夢です。」
生まれて初めて他人に、冗談じゃなくて本気でそれを口に出した瞬間だった。
僕はかなりの非常識家のくせに、常識家ぶってそれを否定してきた。
でもその夢はずっと僕の中に居て、時々ふっと脳裏に浮かんでは平凡な人生を送ろうと考える僕を苦い思いで苦しめた。
書きたいという思いをほんの数行の文を捌け口にして、でもそれは手すさびの断片だと誤魔化して、夢を幻と偽った。
でもどんなに否定してもその気持ちは消えなかった。消えずに僕の中に生き続けて、時折僕に小説の断片を描かせた。
その衝動の苦さは、昨年の就職活動中に最大になった。
(就職しなくちゃ。でも僕が会社に入りたい理由って何だろう?やりたいこと?だってやりたいことはショウ…いや、違う。そんな不確実な未来を、親にどうやって説明する?違う。違うんだ。でも、それ以外の欲求は僕の中には無いのに、どうやってこの志望理由の空欄を埋めたらいいのだろう?お金?物欲の乏しい僕が?達成感?仕事に意味を見出せても、魅力を感じていない僕が?
駄目だ。集中できない。その想いが引っかかって、今こうやって試験勉強をしている自分に価値が見出せない。何故こんなことをしているのか解らない。もしかしたらもう僕は駄目なのかもしれない。だってそんなことが出来るはずが無いのにそれを心の底から望んでいる。でもそれは自信過剰というものだ…)
こんな調子だった。
生きている理由がそれしか無いのに、それを否定するから生きている理由が見えなくなってしまっていた。
それを認めようと思ったのが半年前で、それを口に出せるようになったのはつい最近。
結構時間が掛かりました。
僕は、小説を書きたい。
それを認めてしまった今は、それが体の中心にどかっと落ち着いているのがわかる。
全ての思考と感覚が、そいつを中心に動いている。
見るもの、聴くもの、嗅ぎ取るもの、味わうもの、触れるもの、得た知識、情報、体験はすべからく小説を書くためにある。そう思う。
その知識を、例えば仕事に活かすこともあるだろう。でもそれは仕事をするために知識を得たのでは、あくまでも小説を書くために得た知識をたまたま仕事に活かした、というスタンス。
でも、それが最も強固なモチベーションになっている。
それはこんなところにも影響した。
小説家は売れるようになるまで時間が掛かる。だから売れるまで生きて、そして書き続けなくちゃいけない。では食い扶持を稼ぐアテが必要だ。だったら就職するしかない。
…という具合に、就職に理由が付いたのだ。
そういう良い方向に夢へ向かう心が働き始めている。
確かに無理かもしれない。
ちっとも賞に掛からなくて、デビューも出来ずに死ぬかもしれない。
でも、僕は小説を書きたいと思う。売れても売れなくても、それが人生の目的であると思うから。
そして、小説家になるのが夢だ。
んで、
あの日から、友人知人にこの夢を喋りまくっている。
意外だったのは、誰も否定する人がいないこと。
どうやら僕が一番、「僕が小説家になることが難しいと考えている人間」だったようだ。
身近な人ほど率直に肯いてくれる。
そうして人に「いいんじゃない?」って言われるとすごく嬉しいから、やはり心の底から望んでいるのだろうなぁ、と思う。
この夢に関する悩みが解決した途端に色々な変化が自分に起きて、なんだか生まれ変わったような感じです。初春も来たしね。そんで最近若干ハイテンションです。
しかし、修行はまだまだ足りん。
特に恋愛経験を中心に人生経験が足りん。
今年から書き溜め始めるけど、10年計画ぐらいで気長に頑張ろうと思います。
ってかその前に修論書かないと!
でもブログの執筆が止まらんとです。だって文章書くの好きやから。
で、3時半だし。う、ちょっと駄目人間かも。反省…orz。