頭痛/凹
頭痛がしててもパソコンが変換してくれるのでらくちん。
この頭痛、母親譲り。
月に一度は頭にやってきてずくずくやらかしてくれます。
そういうわけで頭が働いていません。
こういう時には自分の深みがよく見える。
ずっと色んな人や色んな物語から写し取った虚像達が自分の中で息づいている事を実感する日。
感情と思想は万華鏡のように移ろっている。
僕の心はカメレオンのように周囲の色を写し取る。それは生きていくための術だから。
でも、その時に写し取った色はずっと心の奥に沈殿していて、降り積もって沈殿している。
10年前に僕を生かした技術が、今僕を苦しめる。まるでDDTやPCBのように、遠回りに、ひっそりと、それでいて決定的に。
蓋をして仕舞う。そうだ、普段はそうしている。でも今は出来ない。今は自由だ。そしてこの世界の隅っこに吐き出している。不快な、それを。
不快だ。しかし愉快でもある。
いつもよりずっと自由で、それでいて虚しい。
熱い。沁みるような感覚。冷たい手足。蠕動する胃腸。悪寒。吐気。
意識は浮遊する。その恍惚を享楽主義者が歓ぶのか、その不快感を被虐主義者が悦ぶのか?尽きない疑問が響く。
この薄暗い、冷たいのか暖かいのか良く判らない部屋は良い。曖昧で、茫洋としている。
ストーブの上にのった鍋から水がアルミニウムを叩く細かく連続した音が耳に到達する。
微細な事象に気付くのは、心が内側を向いていないからだ。
ただ観測する。20億年の時を重ねて精密に仕上げられたこの50kgの肉の塊でひたすらにその外部の現象を観測する。
内側から生まれてこのディスプレイのフレーム内に収まっていくのは、ただの夢想。
眠い。眠い。眠い。
その先にある死を夢見ているのか?知らない。
知っているのは、僕がこんな内面をリアルにはぶちまけずに蓋をしているからこそ、辛うじて、大切な人たちを大切に出来ている。その、事実。
でも、このままじゃいつか破綻してしまうかもしれないなぁ。
それが恐ろしく悲しいが、そうなった時には僕は楽しむだろう。
そして、過ぎ去った後、十分な時間がたった時に漸く後悔する。
そういう確信が、もう一つの封印となって働いているんだ。
刻み込んでいるそれと、内なる眼が。ずっと見つめる内なるあの両眼が。見える。