装丁と紙書籍の存在価値/書籍

もし書籍を文章の質においてのみ評価し続けるのであれば、もうすぐ来る電子ペーパーで書を読む時代には、電子書籍に紙の書籍はただ淘汰され、忘れられゆく存在となってしまうでしょう。

ここでは、紙媒体の未来について僕の考えを、少し―いえ、かなり僭越ながら、させて頂きます。

まだ乗り越えるべき課題は多いですが、電子書籍は着々と実現に近付いています。

電子書籍は場所をとらないし、電子ペーパーを持ち歩く事はそのまま蔵書を持ち歩くことに等しい。

線を引いたり、読んで感じた事をすぐにメモすることもとなる容易でしょう(つまりそういうアプリが開発されるでしょう)。

「あのセリフ、どのへんだっけ?」と思ったときには検索もできる。

ボタン一つで新聞から書籍からネット検索までこなすであろう、電子書籍の可能性は広い。

重くてかさばる紙媒体は純粋に情報を伝達するという意味では、その地位を失うでしょう。

では何に書籍の存在価値を求めるか、それは、装丁、オビ、奥付、紙質、印刷、全てについて内容に沿ったデザインが成された、より総合的な芸術作品とする、という一点にあるのではないでしょうか。

最近少しずつ装丁にこだわった書籍が刊行されて話題になっていますが(星新一の本が装丁を一新してリバイバルした例など)、この流れが本流となって総体として美しい書籍が増えて欲しいものです。

紙の本は五感のうちの四感までを使って楽しむことができます。

長年読まれ続けた図書館の本などは特に。

セピア色に色づいたページ、微かに鼻を突く古びた紙の匂い・・・ページをめくる音は耳に心地よく、ページを繰る時指先に伝わるこなれた紙特有の感触・・・それらはその本をこれまでに手に取った人々の事に思いを至らせてくれます。

それらは永劫不変の単なるデータに過ぎない、ヴァーチャルな電子書籍では決して得られないものです。

画面上で読むのとは違う、プリントアウトして読むのとも違う、製本された書籍・・・ページを一枚一枚捲って行き、左手に感じる厚みが薄くなっていくのと同時に盛り上がる物語、左手に残されたこの僅かなページの内にこの素敵な幻想は終わってしまうんだという寂しさと昂揚感。

僕は紙の本が好きだからこそ思います。

もっと紙を活かして本をつくろうよ!