日常の半分
私は知っている、悲しみの後にはいつも喜びが来ることを。
[アポリネール]
朝起きた途端に、既に訳も無く悲しい気持ちになっている事に気づく日がある。
それが今日だった。
もそもそと遅い朝食を食べ、列車の時刻からすると随分早めに家を出る。
今日は取り分け太陽が盛っていて、世界中が力一杯に輝いて見えた。
そうなると、喜びで満たされた世界の中で自分だけが悲しみに浸されているようで益々足取りは重くなる。
だからこそ家を早く出たのだ。
駅に着いて今朝見た夢を記録に留めようとするが、少しも思い出せなかった。
きっとそれが悲しい夢で、だからこそ今日の自分は沈んでいるのだと思った。
席に着いて一通りの朝のルーティンをこなすと、もう昼もいい時間-食堂の混雑がなくなる時間-になっていた。
その日一番の光線の中をのろのろと食堂へ向かい、券売機へと辿り着いた。
道々今日はハヤシライスにしようと思い決めて歩いてきたのだが、いざ券売機を前にして腹具合と
ハヤシライスを比べてみると、どうにも足りなくなりそうな気がしたので90円追加して大盛りにする。
大盛りにするのは今日が初めてだったので、出てきた皿の大きさとご飯の量に驚いてしまった。
コップに水をついで席に就く。
満腹になる前に食いきる事が肝心だな。
そう心を固めてからスプーンを刺しこんだ。
思ったよりも楽に食いきり、残った水を飲み干す。
流れ込む水と共に食道に残った米粒が胃に収まる。
満腹。
人間どこかが満たされれば、それなりに不満も無くなる訳で。
食堂を出る時には、「ああ、午前中は無闇に悲しかったなぁ。」とか思いながら、陽気に仕事に戻っていくのでした。