森博嗣『そして二人だけになった』新潮文庫/読書感想

A海峡大橋を吊っているワイヤーを地盤に定着する巨大なコンクリート塊――アンカレイジに造られた「バルブ」と呼ばれる設備。

そこに集まったのは海峡大橋の建設に関わった専門家4名と1名の医師、そしてアシスタント。

管理システムの異常により外界と隔絶されてしまったこの「バルブ」の中で、次々と殺人が起こる。

人が死ぬたびに容疑者は減っていく。

一体、誰が犯人なのか……。

という、森ミステリ。

1999年の作品です。

この「A海峡大橋」、どう考えても明石海峡大橋です。本当にありがとうございました。

本当にあのアンカーレイジはでかいですよー。

出身学科が学科なだけに見に行きましたからねー。圧倒的重量感がありますよ。

さて、内容ですが、森氏らしいトリックでした。

「あー、その発想はなかったわー。さすがは天才。」という感じでした。

ネタバレせずに書くのはここまでが限界っすね。

というわけで、以下はネタバレです。

いや、実際、最初の最初から多重人格は疑っていましたが……。

うーん、そう来るか。

(注:現在、診断名として多重人格を解離性同一性障害と呼ぶのは知っていますが、この場ではそう表記しません。なぜかというと、専門家じゃないから描写が正しく解離性同一性障害を示しているとは限らないからです。そういう意味で、ここでは一般的にフィクションで取り扱われる意味での曖昧な「多重人格」の表記のままで行きます。僕個人の理解の範囲では、かなり実態に近い描写なのではないかと思うのですが、安全側はこの描写を解離性同一性障害と判断しないこと、信頼しすぎないことだと思います。余計なお世話ですが、この例に限らず、フィクション中の多重人格は現実の解離性同一性障害を性格に表現しえていないという姿勢で鑑賞することを個人的にオススメします。でないときっとニセ多重人格者を量産することになると思うからです)

両方が多重人格というのも考えたんですが、それでも説明できない部分がありましたんで、途中からかなりどちらかの証言を疑ってました。うん、それでもまだミステリとしての正解から遠いわけですが。

僕の中の結論として「あー、これは幻覚かもしれんなー」と思ったのは、アンカーの爆破のシーンですね。

これは見たから知っていると言えるのですが(専門分野だから知っているとは言いません)、アレは爆破で壊せるものではないです。

アレは丸ごとが隙間のないコンクリであるからして、爆薬で破壊できる代物じゃない。もちろん、アンカーの定着部に施工時点で爆薬を仕込んでいれば別ですが、それは流石に施工時点で気付かれるしな。だから、爆発物で破壊するというのは、ありえない。

そして四基のうち二基までもが壊れていたという現実。必要な爆薬の量が2倍になる。ますますテロの路線はない。

となると、この解決は整合性があっていてミステリとしての正解だとしても、森ミステリとしての正解たり得ない。

そして最終章。

この作品、最後の宮原刑事の補記によって補いきっていない部分がすごく多いですよね。

異母妹の存在は明かされましたが、その生死は不明です。

これは僕の推測ですが、被害者の誰かが勅使河原の中の”妹”が回想するところの上司に当たったのではないでしょうか。

勅使河原潤は、おそらく森島有佳について「子供ができた」と語り、それにまつわる形でアンカレイジについて「できれば使いたくなかった」と語っています。

解離性同一性障害の症例として、離別・死別した兄弟姉妹の人格を形成する場合があると聞いたことがあります。

僕の推測。推測ですよ。

姉の有佳は離別した有佳を天才・勅使河原潤が補ったもの、と思います。

妹の有佳は死亡した有佳を天才・勅使河原潤が補ったもの、と思います。

そして、弟の勅使河原潤は、忙しさを分担するためのもの、あるいは、見ることの担当と見ないことの担当。どちらかというと、後者かな。前者の機能は、大学時代に徐々に分かれた後の、勅使河原潤が忙しくなったために、弟を忙しさから逃れるための存在に切り替えた、という感じがする。

妹の有佳は、姉の有佳のコピーでありつつ個性が薄いのはそういう理由だと思います。

そういう意味では両方が多重人格っていうのは正解なんだよな。でも、それでもあのミステリとしての解にはたどり着けないけど。

潤と有佳の会話は、委員は委員会で経験済みであったのだろうと思う。

会話に拒否反応が見られず、自然なのはそのため。

というのには、気付けなかったのが悔しい。

ところで、何度も「ミステリとしての正解」とか書いているけれど、それはつまりああいう架空の大規模トリックが許される世界では、という意味です。他意はないです。

しかし、こうして幻想とされてしまうと、大規模トリックの立つ瀬が無いわなー。

僕はホントに斜め屋敷には納得してないんですよ。ホント。

だからこその、ミステリとしての成立後の、幻想としての拒絶ですよね。

いや、それを言ったら、多重人格の存在に対する疑義に対しても弱いところがあるかもですが。

一時の小説界は多重人格という新しいツールを良いように使いまわしていて、実体と乖離しているんではないかと、ちょっと不安に思うところがあります。

変にイメージ膨らんじゃってますよね、多重人格について。

いくらかの心理的病理において、多重人格を自称するものが増えたりしたのではないでしょうか?

僕は僕の感覚の中で理解する範囲において、それは多重人格の実体にそぐわないんじゃないかな、という描写をいくつか見ました。僕の解離性同一性障害への理解は、犀川を多重人格としない森先生の感覚に非常に近い。

だから、この終わりはとても納得できます。

最後に、作中では直下型地震で海峡大橋は倒壊した、ということになっているけど、本当にありえるんだろうか?阪神・淡路以降、耐震設計に関しては大きな進捗がありましたし、設計耐力はかなり安全側にとっていると思うんですけどね。なにより、機能が単純なだけに、アンカー定着部が破断するというのならともかく、アンカーレイジそのものが倒壊するというのは考えにくいんでは、と思って。どうなんでしょう?専門家の意見、伺ってみたいものです。