「なぜ子どもが家事を手伝わないのか」についてぼんやりと

なんかツイートしようと思って書き始めたけど長くなりそうだったので試しにメモ帳に書き溜めてみたらやっぱり長くなりすぎたので久しぶりにはてダに来てみた。
「なぜ子どもが家事を手伝わないのか」について考えた。じゃあ手伝いをせずに子どもが何をしているかというと大体漫画ゲーム、友達とメール・LINE等だったりする。
何故そっちが優先されるかというと、毎日やらなくてはならない代わり映えしない家事と違ってそれらが常に新しくて新しいことが面白いからだろう。加えて、一度手伝うとより強く毎日手伝いを要求されることが容易に想像でき、より楽しいことに使う時間が削られる悪い想像がある。
年をとると経験が蓄積された分、新しいことに出会う機会が減ってくるので、同じことを繰り返すことに慣れて抵抗を感じにくくなる傾向があると思う。その感覚を子どもに求めるのは筋違いじゃないかな、と思う。
では、逆に子どもの新しいものを求める感性に合わせて、それが「退屈なルーティン」で無くなればいいんではないか。つまり毎回新しい工夫とそれに伴う発見があるようにすれば抵抗が減るんじゃないだろうか?
プロスポーツ選手の一部の超一流の選手は、毎日の練習の中で少しずつ工夫をする楽しさを口にする。繰り返しの中に新しい発見を交えることで、努力する楽しさを見つけているのだと思う。
諦めにも似た慣れの中で単調なことを繰り返すのが努力ではなくて、新しいことを発見する努力ということ。スポーツの場合、身体の些細な動きの違いを発見する身体知の才能の違いが努力の才能になってるかもしれない。
勉強でも、多くの子どもたちが無思考な繰り返しを勉強だと思い込まされていて、工夫を楽しんでいないのではないかと思う。正しく工夫する楽しさを知ることで勉強は変わる。
というのは、それが間違った工夫にならないようにする指導が大事だと思う。例えば、メシマズならマズく出来たものの隣に美味しく出来たものを並べて、どう違うのかから確認しないといい方向に進まないんじゃないかな?
でも、多くの場合、そういう「丁寧な指導」はなされない。特に、ルーティンとして確実に手早く片付けなければならない家事では手戻りは許されることが少ない。間違えて怒られて、面白くないから続かない。
初めてやらせるなら手戻りと指導に時間を取られることを覚悟するべきだし、それが無いのに一方的に継続的実施を望むのは無理があると思う。
つまり、親切に指導して気持ちを乗せてやるというのがひとつ。もう一つは徹底して本人がやるまで手を付けないというのもあるけど、今はなんのかんのでインスタントがたくさんあるし、現実的じゃないよな。とか思った。
でも、そういうトライアンドエラーの無さってのは、引き締め傾向にある日本ではどこでも見られるよなー、って思った。って、なんでこんな結論になったんだよ、俺。
ゲームとかは結果がすぐ出るし、目標が明確に設定されていて成功したかどうかの判断がはっきりしているから好まれるんだと思う。スタートはある程度限定されたルールを設定してやることは大事だ。ただし制限時間はなしで。