桜井章一・甲野善紀『賢い身体バカな身体』講談社
桜井氏を「バケモノ」呼ばわりする僕ですけどね、つまりこの甲野氏と桜井氏はかなり高い確率で己の直感で正解を選び取りながら生きてここまで年齢を重ねてきた、それが常人の域を超えて異質なのですよ。
普通は直感でここまで現象の問題を捉えられない。
たいていの人は鈍感と評価されてしまう。
例えば、科学への理解が非常に一面的で不満なのだけど、その一面的理解でほぼ間違いない現状が苛立たしい。
現代の科学信仰は異常で、しかし科学自身もそこから資金を吸い出せることに甘えている。その甘えが最終的には、表面的な金になるだけの学問に囚われる原因となっており、飛躍を見せられないし、また、金にならない学問への風当たりの強さを生んでいる。
本当に一流の学者は自己の限界を知っているし、それによって次の課題に進むことができる。
それができない者は次に進めない。
コミュニケーション力が落ちているという点については、便利になったということとコミュニケーションに時間を割いていないという点に気をつけないといけないと思う。時間を割かないというのは、通りすがりと判断して通りすがってゆく。そこに、注意しようとかそういう感覚はない。近視眼的なんだな。遠くまで見通す気力がない。
身体を使うことで、特に男性はストレスを発散できる。その時間もない。
身体を動かして体の動きを覚えることができない。
時間が足りない、という感覚。
桜井氏は、卒業後代打ちで稼いでる金を背景として、タダで働く代わりに会社に自由に出勤していたらしいけど、結局はそうやって自由に時間を使うことで物事を処理してきた。
ただ、多くの人はそんなに直感すごくないからそんなこと真似ができない。
なぜかというと、そういう直感っぽいものを育てるようなことをしてきていないから。
話の中で意図的に育てるよりも、気づかない方がいい影響になることがあるみたいな話があったけど、それも接触が少なくなっていては期待しづらい。人によってそういうきっかけになるツボは違っているだろうから、そうなるには多くのしっかりとした考えに触れる時間を増やすしかない。
それらを辿ると、結局お金で時間を買えるか、という話になる。
このお二人は、むちゃくちゃお金に悩んだことがないだろうと思う。
物理的に足りないときはあっても、それで困ったとは言っても悩んだことはないっぽい。
それが、普通じゃないところで、資本主義批判をしているけれど、その資本主義が何でこんなに支配的かというところまでは捉え切れていないと思う。
しかし、それでもやっぱりそれぞれの専門、人を観察することと、自分の肉体を観察することにはとんでもない力がある。だから、専門外への観測も遠く外れない。観測が精確だからそれを延長した予測の精度も低くない。
……駄目だ。この本読んだ後、昼寝した上にモギーとの対談本を読んだから記憶が……。
つーか、暑い……。