【再読】森博嗣「スカイ・クロラシリーズ」/読書感想

……感想を書こう書こうと思う間にどんどん読み進めてしまって、結局シリーズ読み終わってしまった。

以下、ネタバレ。

まず、時系列順の並びについて、俺の個人的結論。

クレイドゥ・ザ・スカイ』の折り返しに、『クレイドゥ・ザ・スカイ』の後ろに『スカイ・クロラ』が位置づけられているけど、『スカイ・クロラ』が先じゃないだろうか?

クレイドゥ』の主人公「僕」はフーコから見た関係からやはり「ジンロウ」と解釈するのが適切と思う。

単に、クサナギがフーコと親しい可能性よりも、カイがジンロウに親しもうとする可能性が高いという評価。

作中、アオイが把握しているキルドレでなくなってしまった者は、ジンロウとクサナギ。

でなければ、被弾したとはいえティーチャと戦って生存する力量を持ったジンロウを病院に閉じ込めておく理由がない。有名でないから継続的に人の目にさらされないことで秘匿するという選択肢を採れたと思う。クサナギは有名すぎてそうできなかったろうが。

「僕」がジンロウだとすると、アオイがすべてが元通りと語るための条件は、クサナギの死亡。

「僕」がクサナギだとすると、アオイがすべてが元通りと語るための条件は、ジンロウの死亡。

スカイ・クロラ』が『クレイドゥ』の後だとすると、話はややこしい。

でも、『クレイドゥ』が『スカイ・クロラ』の後だとすると、話はシンプルだ。

クサナギはジンロウは自分が殺したのだと周囲に話し、撃たれたジンロウの替わりに急遽カンナミが配置転換となる。でも、ジンロウが死んだというのは誤解で、死んだも同然の状態なだけ。

……誰の発言を信用していないかというと、ソマナカのそれだ。

彼が真実を言い当てているとは思えない。

まあ、この説に違和感が残っていないわけではなくて、どこかおかしい気はしているのだが……。

どうでもいいけど、カンナミとミツヤはアオイが言っていた自我が薄まったケースだろう。

前に読んだときは、理解できなかったというよりは理解を拒んでいたという感じがする。

ここにある綺麗さの空虚さというか、それを理性が理解してしまったら自律が崩壊する感覚。

でも、その恐怖は、心の奥底がそれを望んでいたからこそ、死に近づくことを恐れる本能から来ていたんだと思う。

今の方が、冷静に理解できる。

ここに描かれているむなしさは、実は誰にでも共通する。

毎日死んでいるのと同じことか、いつか死ぬのかの違い。

生きているのは死と死の間だ。

それを肯定する気持ちがあるから、読み取れる。

と思う。

いや、わかんねーな。

いかん。なんつー駄文だこりゃorz