ディック『マイノリティ・リポート』ハヤカワSF文庫/読書感想
フィリップ・K・ディックの作品集です。
短編の作品集というのは、冗談にしてもストーリーテラーを目指すものにとって読むのに恐ろしいものだ。
「自分が温めているアイディアを先に書かれているかもしれない」
おお、恐ろしい。
……とか考えると本なんてとても読めないわけですが、若い精神というのはとかくそういう自己の唯一性を信じたがるものなのですよ。
確立したジャンルに自身の新奇性を信じるなんて狂気の沙汰だ。
新奇でありたいのならば新しいジャンルを自ら創るしかないんですよ。
さて、この優れた短編集の感想をそろそろと書きますか。
「マイノリティ・リポート」The Minority Report /1956
プレコグ(予知能力者)を活用した犯行前逮捕システムが運用されている未来、犯罪予防局の長官であるアンダーソンは自身が未来の犯罪者として告発されている報告書を発見する。
陰謀を事前に察知したアンダーソンは告発された未来を回避するために行動を開始するが―
ハリウッドで映画化された作品。長編でじっくり書いてもよさそうなのにおそろしいテンポで話が進み、むしろやっつけ感すら漂ってしまう。短く終わりたいために必然性を感じさせる手間隙を惜しんでイベントを消化していくようだ。
結末はおよそアメリカらしくないので、ハリウッド映画である映画『マイノリティ・リポート』は結末が違うのではないかと予想。
つまり、映画を見た方も安心して読めると思います。
「ジェイムズ・P・クロウ」James P. Crow /1954
“公平”なテストによって能力が量られ、ロボットが社会を管理し、人間がその下働きをしている世界。
そんな中、ジェイムズ・P・クロウという人間がテストで結果を出し、出世して行くのだが、彼の目的は―?
ジム・クロウが黒人を指す蔑称であることは註で知れ、この作品の意図するところもすぐわかる。
この種のその後が気になる終わり方というのは読者にいろいろなことを想像させてぜいたくだ。
「世界を我が手に」 The Trouble with Bubbles /1953
人類の発展は停滞を見せており、人々の間ではひとつの惑星を管理するシミュレーションゲームが流行していた。しかし、そのシュミレーションゲームを愛好する人たちはどこか病的なのだ――
現実にコンピュータシミュレーションゲーム「シムシティ」が流行したことを知る身としては、とても面白い。ディックにはこの作品に見られるように箱庭宇宙という視点が強く―というより強迫観念じみて―存在している。ディック自身、その先見性に息苦しさを感じていたのかもしれない。
「水蜘蛛計画」 The Waterspider /1964
SF作家とは、優れれば優れるほどにその作品は予言じみてくるものだ。
この作品では、未来人が過去のプレコグ(予知能力者)をタイムマシンで捕まえてきて、自分たちの宇宙開発における技術的問題の解決法を予知させようとする。そんな彼らがタイムマシンで降り立ったのは1954年の世界SF大会だった――。
自分が作品に描いた未来像が実現して嬉しくない作家はいないだろう。そんな予言者気取りのSF作家の自己撞着をお茶目に皮肉った作品。未来人の姿がおかしくって面白い。
「安定社会」 Stability /1953以前の未発表作品
進歩に行き詰った人類は進歩を志向して成し得ない苦しみを回避するために管理された安定社会を構築する。そんな社会に暮らすロバート・ベントンはある日そんな単調な生活を破壊するきっかけに出会ってしまうのだが――
デビュー前の作品は作者自身によって破棄され、この作品の他にはある長編のあらすじしかなかったという。箱庭宇宙とタイムパラドックス、支配と隷従、それから未来を囁きかけるものと後年のディックを構成する要素が詰め込まれている。当人としても原点という意識があったに違いない。だが、なんとも居心地の悪い結末がそこにはある。
Wikipediaによれば安定した生活とは程遠かった人生のようだから、タイトルの皮肉がまた複雑な気分にさせる。
「火星侵入」 The Crystal Crypt /1954
来訪者である地球人と先住者である火星人との友好は失われ、全面戦争が予想される未来。火星を発する地球行き最終便は統監による臨検を受けていた。火星人の統監の話では、乗客の中に火星のある都市を破壊したテロリストが含まれているはずだというのだが――
こういう火星像というのはもはや描かれなくなってしまったのですが、うーん、こういう隣接している星であるという面白さは捨てがたいですよね。それにしても、どうしてこいつらはこんなんで火星侵入ができたのやら?
原題の"Crypt"は教会地下室から転じて、秘儀、秘密、さらに転じて暗号、隠蔽を意味するようです。「クリスタルの封印」とか「クリスタル作戦」とかタイトルにクリスタルを入れると、クリスタルが文脈に登場した時の期待感を煽ることができると思うんですけどね。
「追憶売ります」 We Can Remember It for You Wholesale /1966
平凡なサラリーマンであるクウェールは、それでも火星に行くという夢を捨て切れなかった。そんな彼は架空の記憶を植えつけて顧客の願望を満足させることを商売にしているリコール社の存在を知り、どうせならと火星でスパイとして活躍した記憶を植えつけてもらおうと大金を払うのだが――
ユーモアに溢れた作品。確かに、ここからあの映画『トータル・リコール』が生まれたとは信じがたいが、それはこの作品のアイディアがああいう応用も利く豊かさを示しているとみるべきだろう。当然、結末も全然異なる。
……というわけで面白い作品集でした。
それにしても、星新一しかり、短編の名手の作品集はアイディアが詰まり過ぎていて後発の創作家にとっては恐ろしい存在に見える。しかし、このディック作品とその映画化作品との関係のように、原作を応用する形でいくらでも発展させることはできるのだ。
問題は、保護された著作権によって後発の創作を阻害してしまっている点だと言えよう。
作品がよく保存されるようになった現代、新しい著作権の形が必要だと思いました。
(081124記)