一年の計/daily

「一年の計は元旦にあり」と申しますが……

一年の計の話を1月4日の仕事始めにしている時点で俺は計画性が無い!

……ですね。

計画性が無い人というのは、

まず計画を立てない、

立てても守る意志に欠ける、

守れなくても反省が無い、

という所に問題があります。

……まあ、プロフェッショナルは絶対にやらないことですね。プロは計画を立て、それを守ろうと意欲を持って行動し、守れなければ反省してそれを次の計画に活かす。それが徹底できてこそのプロフェッショナル。

日経の新年号の平成生まれのプロフェッショナル特集を見てそう思いました。それに比べて俺は……orz

今年の目標は大人になることですね。

大人とは何か?

僕は最近結論に達したのですが、「大人とは、子供に“無形の財”を分けてあげられる存在である」と思います。

ここに言う“無形の財”というのは、大人が働くことによって子供が働かなくて良いという“時間的余裕”という財産を意味したり、それから“知識や知恵”でもあります。“人間性”を育ててあげるのも大人の役割です。また、美しく働く姿から“夢を持つ、未来を信じる心”も与えられる。そういう存在を大人と言うのだと思います。

だから、息子や娘を持った男女は義務的に大人に成らねばならない。また、成人した男女はその教育制度などによる社会からの投資に応える為に大人に成らなければならない。

その意味で僕はまだ“子供”です。

人格的成長の過程で集団の中の役割強制に反抗的であったという点から、自覚が足りなかったです。

そういう自覚を持ちたいです。

振り返って見ると、この12年間は全く、波乱に満ちていました。

子年の15歳は苦悩しながら受験を乗り越え、丑年の16歳には全く新しい価値観の世界に飛び込んでカルチャーショックを受け、寅年の17歳はまったく平穏に過ぎ去り、卯年の18歳は責任ある立場に初めて就き、その後大学受験をわりと気楽に通過、辰年の19歳は退屈をもてあましながら過ごし、巳年の20歳は小人閑居してひねくれ始め、午年の21歳はいよいよ世俗と交流を絶っていたことのツケが回り始めたのを感じて焦り、未年の22歳は自分の人間的矮小さを発見、申年の23歳はその人間的矮小さの問題が現実のものとなりトラブルの連続、そして酉年の24歳はそのトラブルの総決算で修士論文は無茶苦茶に、戌年は焼け野原状態で茫然自失、亥年の昨年は復興に手をつけるも一進一退という形でした。

その前の一廻りと比較しても、どうも戌年には焼け野原になりがちで、子年が勝負の年となっている……今年もそうなりそうな予感。

やはり今年は頑張りたいと思います。

次の、3回目の子年を迎えるためにも!

その意味で、個人的には年賀状のねずみに持たせた種子には願いが篭めていたりします。

正月特番で散々耳目に触れた方も多いと思いますが、十二支とは元来植物の死生循環を象徴するものであった。“子”とはそのまま種子ですから。

さて、そろそろ仕事始めに出発したいと思います。

計画的には、今日が仕事始めで、明日はサッカー高校総体の東福岡対流通経済大柏を観戦して後、アルバイト。明後日6日は試合結果次第で研究室か観戦かを決定する予定。

こんな感じ。

……「研究室<高校総体」の時点で子供とか言って石投げないで下さい!真剣に考えた結果です!←ひどい