corpse on going/daily

書いたけど良く解らなかった。

解らなかったけど、引っ込める理由も思いつかないし、載せる。

14歳くらいから……あ~……書きにくいけどたぶん今でも、「僕は20代前半には死んでいるだろう」と漠然とながら信じていた。

それがあれよあれよと26にまでなってしまっているのは笑い話みたいだ。

自殺願望と呼べるほどではない。その間に向学心を欠いたことは無かったし、向上心もあった。でも、自分は長生きしないと思っていた。

車が傍を通り過ぎるたびに、電車がホームに入ってくるたびに、テレビや新聞や書物で病名に触れるたびに、僕はこういうので死ぬんだと思っていた。

知るのは楽しいけれど表現するのは怖かった。

…何の話がしたいのだろう?

まだ自分でも解らない。

続けよう。

大学を選ぶに当たって工学部の土木を志した。

それは都市計画をやりたいと考えていたからだ。

僕は過疎や過密を見て、日本の都市計画は上手く行っていないのではないか?この問題に対して都市計画というツールで裏からチャレンジできると思っていた。

ところが、僕は当時とても重要なことを知らなかった。土木という分野が―というより、工学分野は―コミュニケーションが重要だってことを。

大学3年間で僕はチームプレーでのテスト対策を蔑視していた。自力で単位を獲ってこそ勉強ではないか、と。でも、それには限界があった。

チームプレーを想定した難易度で問題が作られていたし、僕自身の能力も大したことが無かった。それで僕は焦りを感じていた。

そして、研究室に配属されて、この世の中はどんなカタチであれチームプレーができない人間は(能力的に抜きん出た者を除いて)世の中を渡っていけないのだと痛感した。僕の能力は平凡なものだった。

それで、僕は“生き方”がよく解らなくなった。

そして、「20代前半で死ぬ」というのはこういうことかとも考えた。

んで、それ以降考えたことはこのブログにあるんだけど…

…で、何だろうな?解んなくなってきた。

ああ、そういう日常なんだよ。