休憩/daily

身に着けた一つ一つの知識を一本一本の繊維に喩えよう。

つまり僕という知識体系は、それらの繊維を撚り合わせて糸にして、更に縒り合わせて紐にした、そんな風にして出来ている。

論文にしても創作にしても、何かを生み出すということはそうやって撚り合わせている糸を少し取り出して素糸とし、縦糸と横糸に分けて機を織るようなものだ。

鮮やかな知識を用いて鮮やかに、技巧を尽くして細やかに、壮麗なる文様を編み込むのである。

人格だって同様に反物だろう。知識を以って編み出した物を、人は身にまとって外に出ているのである。

そして、今解きほぐして糸に使っている部分、かなり危険部位である。つまり心理的負担が大きい。

自分でそれがよく解っているから十分な安全管理の下で解きほぐしているのだが、1時間に1回くらいインターバルを入れないと安全な作業が保証されない。

そんなわけで、正直疲れている時はちょっと手が出せないので、なかなか作業が進まない。

ちょっと逃避してまったく気楽な文章を書いたりすることになる。

(ちょうどそれが今この文章だったりするのだけれど)

あとちょっと休憩して、また一旦解きほぐして、そんで3時半くらいにまた縒り戻して、そして移動しよう。