才能と財貨/思索

ある個人が生み出す社会的価値の時間変化を追うとしよう。

X軸方向に時間軸を取って、Y軸方向に生産量を取る。

すると、大抵の人は1日周期で勤労による生産期と、休息による回復期を交互に繰り返す。

正弦波が、休息期をX軸にべったりくっつけたまま、Y軸方向に平行移動させたような、波動関数になるはずだ。

さて、世の中には他者の生産物を消費する事のみによって生存する者達がいる。

一つには、子供や老人達である。

彼らは自らの生産力が生存のための消費量よりも少ないために、波動曲線は常に負値を取り、休息期に上昇するグラフを描く。

もう一つには、他者を搾取する犯罪者である。

彼らは他者の利得を不法に得る事によって生存しており、社会全体の利益から鑑みて、その行為は負値として評価される。

彼らのグラフもまた、休息期に上昇するように曲線を描く。

さて、ここに至って私は第三の軸を導入しよう。

Z軸に才能の方向を取るのである。

それは、例えば事務の才能であったり、デザインの才能であったり、弁舌の才能であったり、音楽の才能であったり、暴力の才能であったり、様々である。

人は、これらの才能について、向き不向きがあり、その固有の特性に応じて日々財貨を生産している。

この三次元の曲線をXY平面に投影したのが、第三軸を導入する前に説明した波動関数である。

この投影は、ある価値観を示す固有の変換公式によって変換処理される。

それは、場と時間によって異なる変換式だ。

戦乱の世であれば暴力や謀略の才能は正値に評価され、平和の世であれば逆になる。

・時代に要求されない才能は、最大限発揮されたところでXY平面に投射された場合の振幅は微小にならざるを得ない。

・人類の活動は常に最大限行われてきたが、それは異なる価値観の元での最大であり、相対的に見て相殺しあっている可能性は排除できない。

…などなど、色々な事が考えられる。

が、そろそろ飽きて来たのでこの記事を終える。

ところで、明日は公務員試験だというのに、こんなことをノートに落書きし始め、そしてブログに清書している僕のような才能は、はっきり言ってXY平面では極小の振幅を見せているに違いない。

こんな論述は世間的にはツマンナイものであり、それをネット上に書く事も、それに使う時間も勿体無い事は自分でも理解している。

ただ、パブリックな場に出すという事で、僕の思考力がほどよい緊張を持つと言う事と、純然たる思考力の訓練になるというだけの事である。

これは、卑下でも謙遜でもなく、そうあるべきと思うだけのことである。

と、蛇足してみる。