一番古い記憶/昔の話

一番古い記憶は、「母から弟が出来るの。りょうへいくん(※)はお兄ちゃんになるのよ」、と言われた時だと思う。その時、何かがそっと引き剥がされて自分が違うものになったような感覚があったのを憶えている。これが2歳の時。(※HNの「よしひら」は「良平」の訓読みであることは、ブログでも何度か触れている。)

それは、しばらく忘れられていたのだけど、妹が生れた時に弟が同じことを言われているのを聞いて、思い出したのだった。「弟は弟であって、自分と同じ『お兄ちゃん』ではない」と反発を覚えたからである。しかし、弟はいまひとつわかっていないように見えた。祖父の家で妹を挟んで兄弟妹三人で写っている写真が残っていて、この時のことはよく憶えている。これは、4歳の時のこと。

その間の3歳くらいの記憶もいくらか残っている。

ひとつは、幼稚園入園に纏わる記憶。入園の前に、園指定の制服を着て、よく似合っていると褒められて嬉しかったこと。入園の日に、すごく不安だったこと。化粧をした母と左手を繋いで初めて登園している途中の坂道で、イネ科の背の高い雑草を手で撫でるように弱げに薙いで歩いていたら指を切ってしまって怒られたこと。絆創膏を貼ってもらったのが嬉しかったこと。この辺りは時期がはっきりしている。

砂場や遊具で遊んだりとか…。中でも一つだけ強く記憶に残っている出来事がある。

それは、階段下に設けられたソフトブロックで遊ぶスペースでのこと。ソフトブロックは、園児にとっては一抱えあるほどの大きさで、それを積み上げて基地のようにして遊んだりしていた。その狭いスペースには電球がひとつ付いていて、使い終わったら電気を消すことになっていた。ある日、友だちが「ここに隠すから、じっとしていて」と言って、僕が完全に見えないようにブロックを積み上げた。ブロックだけで内部は真っ暗になったのだけれど、その友だちはどうやらそのスペースの電球も切って立ち去ってしまったらしい。

真っ暗闇の中で、僕は何も考えずに座っていた。じっと待っているのは得意だったし、暗闇は怖くなかった。ただ僕はぼんやりと座って待っていた。外では、僕がお昼休み明けのクラスに来ないので大騒ぎになっていた。先生とクラスの友達みんなで園中を探し回っていたのに。

さすがに僕もいつまで座っていればいいのか不安に思い始めたころ、外で電気のスイッチの音がして、ソフトブロックの一つがそっと取り除けられた。先生がこちらを見てびっくりしていた。こんな暗闇の中に待っていたとは思わなかったからだ。僕に隠れているように言った子は泣いていた。僕はどうやら30分くらい暗闇の中に居たのだと思う。

この頃から、時間の感覚が甘いこと、暗闇に親しむこと、人の言うことに素直すぎること、これらの正確が出ていたというエピソードだと思う。

もうひとつは、絵を描いていた記憶。

当時は、二間のアパートに住んでいた。入口のドアから半畳の三和土、そして小上がりがあって六畳一間まで遮るものがないひと続きだった。僕は、膝座りに玄関の方を向いて母を待ちながら、落書き帳として与えられていたA4の横罫が入った普通のノートに絵を描いていた。ドアの上部は曇りガラスの採光窓があって、夕日がかかってキラキラ輝いていた。それがきれいだったのを憶えている。

絵は2歳くらいから描いていたらしく、2歳後半の絵から大事にとってある。才能があるわけではなく、絵を描くのが好きだったことがわかる程度である。サンバルカンのブルーなど、好きなものが何だったのかよくわかる。