『イブの時間』/アニメ感想
『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読み終わるというタイミングで見た。
去年ちらっと話題になったよね。
ニコニコで見られるってのはうれしいな。
俺はどうも情報弱者なので、好きな分野の割にはチェックが遅れてしまうんだ。
未来、たぶん日本。
”ロボット”が実用化されて久しく、
”人間型ロボット”が実用化されて間もない時代。
アンドロイドと人間がお互いの関係を見つめなおすって話なんだろうと思う。
会話のテンポが独特で、作り手が会話を音楽と同軸上に載せているような感じがある。
絵も丁寧で3Dを使って視聴者を作品世界に位置づけようとしている感じがある。
時々、アニメとしては不自然に、人間の視界としては自然に、映像を動かしている感じがある。
ストーリーとしては、アンドロイドは召使みたいな扱いで、アンドロイドを人間のように親しく扱う人間を”ドリ系”と呼んで冷たく見る風潮が起きている状況で、高校生―人生哲学が定まっていない年頃だ―の主人公が、「人間とアンドロイドを区別しない」というルールを持つ喫茶店「イブの時間」と出会い、アンドロイドとの関係性を考えていく、ってことだろうな。
観賞上、注意する点とすれば、たぶん、作中であれだけ人間らしいアンドロイドに対して人間が冷たいのは、その前にロボットを召使として使っていた過去が歴然とあって、その延長上にああいう感情的隔絶があるってこと。
奴隷みたいなイメージだけど、奴隷に対する仕打ちってこれ以上だったというのも人間として知っておくべきか。
まあ、個人的には、ロボットが普通に人間社会の中で雑用レベルのことをこなせるようになる前に性生活用アンドロイドくらいは完成すると思うので、日常生活用のアンドロイドが普及するころにようやくこういう衝突が起きるってのは、ちょっと違和感がある。
というか、まずは、性生活用にアンドロイドが開発されて、そこに倫理団体が反発するが、まずはごく一部の変態の行動として静観の構え。そこから、日常用アンドロイドが開発されて、普及するにつれて普通の人間までもが手軽に魔改造できるようなキットが静かに流行(ビデオからモザイクを消す機会が流行った故事を見るべき)になって社会問題化、ってところだろうか。
問題は、人肌かな。
筋肉の弾力を機械的に再現することは難しいし、脂肪なんてものはハナから無駄なロードでしかない。つまり抱いても硬いってことになるだろう。
ただ、それ以前に、倫理的にアンドロイドを保護するための構造的工夫はいくつか考えられて、股間の辺りに駆動上重要なユニットを置いて、簡単に改造できないようにし、中性的な顔立ち体つきにして販売するとかね。
あと、感情を載せないことが大事。
区別できなくなると思う。
まあ、人間と同じく感じ、考えられるロボットが造れるようになると、人間という生物への評価が高まると思う。
だって、自然に感情を表現して、栄養状態が万全で、危機回避もしっかりやればメンテナンス不要で60~70年動くんだよ?
ロボットはどうしても工場出荷時にはある程度の人格の画一性は回避できないし、学習させて個性を確立する苦労は人間と同じだ。
そういう意味で人工知能ってのはとても重要な研究だと思うんだ。
このテーマって面白いから、創作家がどう描くかってのはとても興味をそそられる。
次回が楽しみです。