フレーム問題/daily

今、瀬名秀明氏の『デカルトの密室』を読んでいてフレーム問題というものに出くわした。

思考する際に環境条件をどこまでも考慮に入れていたら、情報が大きすぎてパニックを起こしてしまう。だから、どこかでその考慮する範囲を限らなければならないが、その曖昧さをどうやって実現するかという問題だと思う。

どういう可能性を考慮すべきかという規範認識の問題かも知れなくて、ロボット三原則の実現には避けられない課題だ。

この判断の枠組みが無い状態では、人も混乱して判断を下せないか、あるいは客観的に見て間違った判断をするだろう。

僕が電話を掛けなければならない時、僕の事情と相手の都合とを比較してどちらが優先されるか判断できないように。

一体、他の人々は何の理由があって自己の都合を優先しているのかしらん。

快活な生活の実現を是とするからであろうと推測し、それを真似て僕も電話するけれども、実感はさっぱりと無い。

クライアントから依頼されて、依頼内容を理解して掛ける電話はまだマシなのだが。

宇宙があって、地球があって、人類があって、僕がいる。それは生じる可能性があって現に生じているだけで、そこに意味は無い。

ただ、人間関係の中で意味が存在することにした方がいろいろと問題を処理しやすいからそう定義されているだけだ。

もちろん、それは潜在的に認識されるだけで、表面的にはまるで「地球を救おう!」みたいに別の何かで飾られている。

僕にはよくわからない。

ところで、今日もうどんから薬品のような臭いを感じる。どうやら体調がおかしいらしい。

調整のために昼寝をしなければならないようだ。