みずへび/寓話

昔あるところに一匹の蛇がいました。

その蛇は小さかったのですが他の蛇よりも少しばかり賢く、それを誇っていました。

他の蛇はそれが面白くありません。そこで、他の点ではその小さな蛇が全く劣っており、仕返しされてもいたくもかゆくもないのをいいことに、その驕慢な頭をみんなして叩いて遊びはじめました。

そのうち、小さな蛇はすっかり痛めつけられて一度は死んでしまったかに見えました。

しかし、その蛇たちは実は首を切られても生えてくるというヒュドラの一族であり、その小さな蛇もすぐに元の驕慢な頭に新たなもう一つの頭を加えてよみがえりました。

よみがえった蛇の新しい頭の中は、他の蛇への憎悪でいっぱいでした。新しい頭は、「他の蛇にどうやって復讐してやろうか?」そんなことばかり考えて、体の中に毒を蓄えていきました。しかし、そのどれもが彼の小さな体では実行できないものばかりでした。

新しい頭の毒は、最初の頭の驕慢な精神を満足させたものの、元来備わっていた彼の良心に照らしてみるとやはり悲しむべきものに思われました。最初の頭は次第に自らの毒に苦しむようになり、やがて朽ちていきました。

最初の頭が再び朽ち落ちた場所には、また新たな首が二つ生えてきました。一つは相変わらず己が知性だけを恃む傲慢な頭であり、もう一つはあの毒に苦しんでいた良心を持つ頭でした。三つ目の良心の首は、毒をすっかり克服し、かえってそれを浄化することをその役目としました。こうしてその小さな蛇は、高慢な頭で知恵を働かせ、ストレスを憎悪の頭で毒に変え、不意に毒を吐き出さぬよう良心の頭でそれを浄化するようになりました。

三つの頭に共通していたのは空想をするのが好きだ、という点でした。そして、三つの頭はそれぞれにそれぞれの頭の好みの物語を読み、そして自ら作ろうとするようになりました。それは、知恵の頭は緻密に練られた物語を好み、憎悪の頭は血と暴力に満ちた物語を好み、良心の頭は優しさや温かさに溢れた物語を好むといった具合でした。

書物は精神を豊かにし、成長を促します。しかしこの蛇の場合、それぞれの頭が、それぞれに異なる書物を読みふけったがために少しずつ互いの頭の違いが目立つようになってきました。

とりわけ憎悪の頭の成長は目を見張るものがありました。なぜなら、憎悪の頭は他の頭に比べて食べるものが多かったからです。うるさいもの、理不尽なもの、痛いもの、苦しいもの、悲しいもの、恥ずかしいもの、さまざまなストレスの原因がこの世の中にはあり、憎悪の頭が飢える日など一日とてありません。一方で、知恵を豊かにする情報や心を温めるような他者からの優しさは、それらに比べてどうしても少なくならざるを得ませんでした。憎悪の頭はそういった他者から受けたストレスへ向けた憎悪だけに飽き足らず、書物に込められた憎悪をも喰らって大きくなっていきました。

この憎悪の膨張に、良心の頭は攻撃をしかけました。許されざるもの、悪しきもの、醜きものは去れと、そう、純真な批判を繰り広げました。しかし、憎悪の首はそれすらも喰らい大きくなりました。良心の頭が抱えるストレスもまた、憎悪の頭の食物に過ぎなかったのです。一方、良心の頭は他者を攻撃することそれ自体が自身の弱体化につながるような、そういう性質の柔らかいものでした。そのため、良心の頭は次第に弱まっていき、また、一つ首を増やすこととなりました。

良心の頭は今や二つの頭に分かれました。一つは、率直な正義を志向する頭であり、一つは、寛容を旨とする優しい頭でした。こうして、正義と憎悪の衝突は寛容によって仲裁され、和らげられるようになりました。こうして、この小さかった蛇は全てを自分の中で完結させるシステムを完成させ、一応の精神的安定を得たのでした。その頃にはすっかり背丈も他の蛇と比べて目立たなくなり、日々は順調に過ぎていこうとしていました。

ただし、一人知恵の頭だけはこのような経過を思い、そこに危機を感じ取っていました。「平和な時ならば良かろう。しかし、もしかつてのように大きなストレスに曝されるようになったら……」、そう考えたのです。そしてなるべく自身をストレスから遠ざけるようにし、これ以上の分裂を避けようとしたのです。また、心理について少しずつ学び、その陥穽を予め見破るような知識を得ようともしました。

このような知恵の頭の努力の成果と、優しい頭の緩衝効果によって表面上は平和な日々が続きました。しかし、この平和な日々がやがて終わりを告げ、それが問題を先送りする日々に過ぎなかったことを思い知らされることになるとは、まだこの頭でっかちな蛇は知る由もありませんでした。

(続…かないな、きっと)