隔たり/思索
この肉体を持って生きている理由は何だろうか?
マイコン世代の時代の僕らが、映画『MATRIX』のような世界を想定するのはとても自然な事のように思う。
僕もご多分に漏れず高校生の時に図書館でそういう話を書いた。
そしてそのコンピュータの塊を丸ごとふっ飛ばしたっけ。
アレは、こっそり図書館から回収して、今は手元にある。
人間大のゴキブリが文明を育んでいるという設定だったなぁ。
肉体には無駄が多い。
全てが電子化されて、仮想現実に引っ込んでしまったほうが効率が良い。
脳だって無くて良い。
思考だけが尊いのならば、それが終着点だ。
建築も、医学も、何も必要無い。理化学だけが思考に値する学問分野として残る。もし、社会を残したとして何の意味があるだろう?
全てがネットワークされて、犯罪なんて存在しえないし、隠し事も厳密には存在し得ない。純粋に統一される。
後はひたすら、ラプラスの魔のように宇宙の真理を計算し続けるだけの不毛な存在になり…下がる?上がる?
僕の価値観では、「下がる」だが、皆さんはどうだろう?
脱線した。
遺伝子は、自らの複製を増やす事が存在意義だという。
遺伝子の乗り物としての生命。
…だとしたら環境の変化に応じて変化する適応変化はその存在意義からずれるので、ここでは遺伝子の連続的変化の「連続」が意義あるものだとしよう。つまり、遺伝的つながりこそが尊いとする。
だとすると、遺伝子だけ残しても良い。
ああ、そうだDNAコンピュータという概念があった。
そうか、進化の究極として、遺伝子そのものがコンピュータとなるのか。それは面白いかもしれない。
でも、それも結局ラプラスの魔に成るしか無いのか…つまらないな。
肉体が重要なのだろうか?
コンピュータになって、結ばれた方が効率が良いけれど、この肉体の隔たりが心地良い。
思ったことは伝わらない。
言いたい事も上手く言えない。
でも、意識が肉体で隔てられているのに意味がある。
一つにならなくていい。
一つになろうとする意志に意味がある。
一つになったらそれすらない。
解り合おうとする姿が尊い。
そして、隔たっているのに一つになったとしたら、それは貴重な奇跡だ。
それが平和だったり、恋人達だったりするのだろう。
別々の隔たったものが一つになる。そう、だからそれが生命なのだ。
始めから一つでは意味が無い。