時間感覚の成長/daily

もう7月も10日ですか。

早い。早すぎる。

でも、それって子供の頃の時間感覚と比較しての認識ではないな。

子供の頃も「あー、もう今日も夕方かー」とか残念に思っていたことがありました。

「子供の頃よりも時間が早くなったと感じる」という解釈は単に過去の自分としか比較できず、更に過去の自分の感情を正確に想起できていないだけなのだと思う。

年をとると時間が過ぎるのが早くなっていくのは、きっと早く過ぎていく時間に対して自分がやるべきだったと認知する行動の量が増えていくからなんだろう。今日の24時間にあれをやっておくべきだった、これをやっておくべきだった。そういう「やるべきだった」アイディアの数の増加が問題なのだ。

やるべきことが分かっていなかった子供時代は、何をやったってもっと何かできたかもしれなくて、その意味で時間の経過はいつだって早い。でも、大人ほど何かするべきことを強く指定されているわけではないから、その後悔の度合いは小さく、日々の時間の浪費度は小さい。

今は、きちんと日々のやるべきことがあるのにそれを全部消化できずにいることが多いし、そのやるべきことの何割を消化できたかを認識する理解力がある。それが、時間の経過を強く印象付けているんではないだろうか?

きっと、日々のやるべきことができている人にとっては、一日の時間は多くもなく少なくもない適切な量なのだろう。そういう充実感ってのがうらやましい。

逆に、一日が長すぎると感じる人は、ちょっと疲れているんだろう。

仕事量をコントロールできる立場になりたい……よーな、なりたくないよーな……。

時間を有効に使うことができる知性が育ったからこそ、それができなかった時の後悔が強い。時間感覚の成長ということだろう。