湯本香樹実『夏の庭』新潮文庫/読書感想

読んだことがなかったので。

夏休みの読書感想文の題材として取り上げられることも多い、「死」について考えさせる作品として有名です。

しかし、有名すぎて却って敬遠してきました。

あらすじから、最初は興味本位で観察していたおじいさんに情が移り、身内が死ぬ悲しさを知る……という筋立てなのはよく見透かすことができます。

そういう、見え見えの筋書きに乗せられるのは癪だと思っていたんです。

しかし、そんな意図に乗せられることを受け入れられるようになったくらいには、大人になったので読みました。

あー……確かに、ちゃんと出来た作品でした。

安心して子供にオススメできる作品です。

ですが、この15年前に書かれた小説に現代の家族が抱える問題の多くが登場していることに注目するすると、今は大人になった過去の読者もまた再読すべき作品ではないか、と思いました。

この時代と比較して、何も改善できていない。

帰りの遅い父と酒に浸る母がいる子、離婚して出て行った父を死んだものと偽る子、自営業の父に憧れるが母に勉強していい仕事に就くことを望まれる子、彼らは少しだけ家族との折り合いに困っていて、学校と家と塾との行き来の中だけの、狭い世界に暮らしている。

彼らの観察対象となる老人も、孤独に暮らして隣近所ととの交際が一切ないさびしい生活をしている。

子供は大人との接点を欠き、老人の死を観察しようという失礼な行為に出る。

それが失礼という認識を持てないほど、社会的常識を育む機会を失している子供たち。

そんな人間関係の乏しさが描かれている。

この作品が書かれた15年前、失われた10年は始まって2年しか経過していない。

その頃と比べて今は……悪化しているかもしれない。

この作品を読むように言った40代以上は、今や50以上になり、責任ある立場にある。

この作品が描く問題を、認識しながらも見過ごしてきたと思えてしまう。

この作品の少年たちは老人との交流によって大人になっていく。

その理想を、実現できているだろうか?

この作品を読むように言われた12歳~15歳は20代後半から30歳になる程度、まだまだ社会を背負う立場ではない。

というよりも、大人になれずに「アダルトチルドレン」なんて腐されている。

本を読むだけで学べる人間は少ない。

この作品に出てくる少年たちだって、形の上では死を知っていたんだ。

でも、実体験することで大きく変わるものが人間の精神にはある。

そういうことが描かれている、とこの作品を読み込んだなら、なぜ子供たちに実体験をさせるための社会の仕組みを作ることをいまだに怠り続けているのか?

……なんて苦言は、どうでもいいか。

俺自身の話をするならば、やっぱり俺は他者の死を悲しむことを理解できない。

父方の祖父の死も平静で、「悲しむそぶりをしないといけないのかな?」と思っていた。

同じく父方の祖母はあと幾許もないようだが、ちょっと考えたことはというと「死に目に会いに行くというのは、当人の末期の喜びとそれを見て取ることによる子らが自身を慰める材料なのだろうな」とか考えた。

こないだ、職場の同僚が祖母の訃報を携帯電話で受け取り、即座に泣き濡れたのとは大違いだ。

あれを見た時、「おおー、すげー。」って思ったものな。

なんだか、分かんない。

分かんないのが、悲しいんだよな。

理解し得ないという事実が距離を感じさせる。

嫌いなわけではないのに、悲しくもないのが、自分の限界を思わせて、寂しい。

客観的に評価して、寂しい人間なんだな、俺は。

俺は、俺自身を既に一度死んだものとして諦めている。

すっかりゼロから、また積み重ねていると思っている。

また、何かそいう悲しんだりする何かの能力を得られればいいなぁ、とか思う。

両親が死ぬ前には。

物語で読むと泣きそうになるのに、なんで現実にはそうできないのか。

何か失敗してしまっているんだな、俺は。

何なんだろうかー、あーあー。

嫌だね。